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2015年3月31日 (火)

放射能から逃げる母たちについて

鎌仲ひとみ監督の『小さき声のカノン―選択する人々』を劇場で見た。福島の原発事故以来、もちろん原発には反対だけど、過剰に反応する母親たちはどうだろうかと実は思っていた。

もともと子供がいないせいか、街でも子供しか目にない母親を見ると、口には出さないがイライラする。今回の原発事故の後に、福島はともかく、東京やその近郊でも子供を持つ母親たちが放射能に騒いでいるのを新聞などで読んで、どうだろうかと思っていた。

そういうこともあって、あえて普段は見ないような映画に足を運んだ気がする。見た感想としては、十分に監督のメッセージは伝わったと思った。つまり、母親たちの騒ぎには十分な理由があるということ。

映画はまず、福島・二本松市のお寺の夫婦を写す。彼らは幼稚園を経営しながら放射能を測定して、子供たちを守る道を模索する。原発事故後、国の基準は20倍も緩められたという。同時に宗派のネットワークを利用して全国各地から送られてくる安全な野菜を住民に配る運動を始める。学校では地元の食材を使った給食が復活するが、彼らは子供に弁当を持たせる。

ここでチェルノブイリ後のベラルーシの映像が入る。事故から25年たっても放射能汚染地図が更新されていて、その基準を日本に当てはめると、二本松市は強制避難地区に入る。そしてベラルーシの子供たちを守る活動を続けた人々が出てくる。子供たちには明らかに甲状腺異常が見られ、年に一か月内外の保養地に送って健康を保つ活動が続けられている。

驚くべきはそこの医師が「ベラルーシのシステムを作ったのは日本の方々なのに、どうして日本でできないのでしょう」と言うところ。日本の医師が現地で活躍したほか、北海道でベラルーシの子供たちを20年も受け入れていた団体もあった。

その団体は、今は福島の子供たちを受け入れている。子供たちを受け入れて1ヶ月後に数値を測ると、そのセチウム値は半分以下に下がっている。そこには東京や関東の母子もいて、その後移住を決意した者も。

つまりは政府が安全と言っている地域にも放射能被害は子供たちを中心に広がっているが、政府は何も対策も取っていない、だからあとは個人が勝手に動くしかない。それが副題の「選択する人々」。

こんな具合に実にわかりやすく、私でさえそうかと思う。もちろん船橋淳監督の『フタバから遠く離れて』シリーズのような、映画的な美しさはない。あくまでプロパガンダのような映画だけれど、その役割は十分に果たしている。

政府の考えとしては、これ以上避難地区を増やしたり子供たちの保養制度を作ればさらに膨大な予算がかかる。日本経済の全体を考えたらその被害はたいしたことではないし、科学的な証明も難しいので、放っておこう。そんなところか。これは10年後に大きなツケが来そうな気がする。

私は午後の回に見たが、その前の午前中の回には、小さな子供連れのお母さんが5、6人はいた。「選択する人々」なのだろうか。

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