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2015年3月23日 (月)

『メトロポリス』から『東京暗黒街 竹の家』へ

4月以降の授業の準備でDVDを見ていたら、「ヘンな日本」を描く2本をたまたま同じ日に見た。1本はフリッツ・ラングの『メトロポリス』(1927)で、もう1本はサミュエル・フラーの『東京暗黒街・竹の家』(1955)。

フリッツ・ラングは監督になる前に来日した経験があるせいか、日本を取り上げることが多い。現在DVDがない『ハラキリ』(1919)はそのものだし、『スピオーネ』(1928)には色仕掛けで条約文書を盗まれて切腹する日本の外交官マツモトが登場する。その1年前の『メトロポリス』には日本の要素はないと思っていた。

たぶん全編を見たのは、1984年のパリ以来かもしれない。今回のDVD版はパリで見たものよりも長いはずだが、歓楽街ヨシワラのシーンがくっきりと写っていた。マリアに化けた機械人間の裸の踊りに紳士たちが夢中になり、大勢が日本風のちょうちんを掲げて騒ぎまわっている。左上にはYOSHIWARAと縦に書かれた文字が写る。

もちろん、だからこの映画の価値が下がるわけでも上がるわけでもない。この映画は近未来都市を描いてその後のSF映画の原型となった。摩天楼の風景は明らかに『ブレード・ランナー』や『スパイダーマン』シリーズに引き継がれている。労働者と資本家が別の場所に住むという発想は、『オブリビオン』のようなSFにいつも出てくる。

ただ、退廃の極みの場所に日本のイメージが使われていたことは大きいだろう。『ブレードランナー』や『トータルリコール』の奇妙な日本の街のイメージは、明らかに『メトロポリス』から来ている。日露戦争に勝って、先進国への道を突き進んでいた1920年代の日本は、欧州から見たら得たいの知れない存在だったのではないか。

『東京暗黒街・竹の家』は、1940年代後半から50年代にかけてハリウッドが日本を舞台に作った、10本を超す「国辱映画」のうちの1本とされる。これまた全編を見たのは、1984年以来。当時は、ロバート・ライアンたちが靴を履いたまま畳の上で演技するのが気になったし、山口淑子があまりにアメリカ人男性向けの演技をするので、どうしても好きになれなかった。

ところが今回見ると、意外によくできている。冒頭の富士山の下を通る蒸気機関車を農民に化けた盗賊達が襲うシーンなんて、簡潔でスリル満点。その直後に出てくるキタ警部役の早川雪洲が実にかっこいい。もちろん室内シーンをハリウッドのスタジオで撮影しているので、日本語はヘンだし、ありえないシーンも多い。

けれど東銀座交差点や銀座4丁目の交差点(和光の時計塔が見える)、浅草寺や鎌倉の大仏、はしけ船がいっぱいの佃島などを背景に、派手なアクションをフラー得意の長回しで見せてくれる。最後の浅草松屋の屋上の撃ち合いはなかなか。

それにしても1915年の『チート』で「国辱俳優」とされた早川雪洲と、30年代後半から40年代にかけて中国で撮られた映画で中国人として活躍した李香蘭=山口淑子が、1954年の「国辱映画」に出ているなんて、戦争を経ても歴史はちっとも変ってないではないかと思う。映画は好んで大衆の「偏見」を映し出す。

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