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2015年3月13日 (金)

東南アジアの学生と見る『同じ星、それぞれの夜』

映画は、見る環境によって見え方が変わる。記者やライターが集まってタダで見る試写会と普通の観客の映画館では大きく違うし、海外の映画祭で日本映画を見ると全く別物に見える。先日、日本の若手監督が東南アジアで撮ったオムニバス映画『同じ星、それぞれの夜』を、東南アジアで映画を学ぶ学生や先生と一緒に見る機会があった。

これは国際交流基金が短期招聘した東南アジアの学生たち向けのプログラムの一環。まず、ジャカルタ芸術大学、シラパコーン大学、フィリピン大学から3人の学生と先生1人による、それぞれの国の映画事情のプレゼンがあった。どこも似たり寄ったりで、映画市場はアメリカ映画に支配されているが、民主化とデジタル化によって、インディーズ映画がどんどん増えているというもの。

それでも20歳過ぎの学生たちは眩しかった。堂々と楽しそうに、パワポを使いながら英語で話す。日本の映画学生にこれができるかと言えば、まず英語の時点で無理があるだろう。そのうえ、自国の映画状況を外国人向けに説明できるかどうか。

それから富田克也、冨永昌敬、真利子哲也の3人の監督の『同じ星の下、それぞれの夜』(2012)が英語字幕付きで上映された。普通に見れば、富田監督の『サウダージ』のグダグダ感は今回は不発に終わったとか、冨永監督のシュールなセンスは、単に非現実的な話になってしまったとか、真利子監督は現地をリアルな感覚で撮るのに成功したとか、そんな感想が出るだろう。

ところが現地の学生たちが目の前にいると、どうしても彼らの目が気になる。富田監督の「チェンライの娘」は、日本人を相手にするバンコクのホステス2人と日本のさえない中年男の珍道中を描く。日本語を話し、日本人をカモとしか考えない若い女性は、今でもいるのだろうか。何となく日本人の先入観から作られたような気もしてくる。それでもバンコクからチェンマイやチェンライと田舎へ移動するなかで、何となく全体が緩んでくる感じは富田監督ならでは。

冨永監督の「ニュースラウンジ25時」はさらに日本よりの内容。主人公は日本のテレビのニュース番組のアナウンサーで、恋人の女性はマニラ支局の特派員。彼女が別れを仄めかすと、主人公は初めてマニラに向かう。そしてニュースでお互いの気持ちを伝えるうちに、混乱が始まる。

この映画の救いは、後半のマサオという現地人スタッフの存在だ。彼の好きだった日本語の先生の話が出てきて、一挙におもしろくなる。そのおかげでラストもストンと落ちる気分。それにしても、マニラはいかにも野蛮な都市にしか見えない。

真利子監督の「FUN FAIR」は、前半はマレーシアの中国系の若い夫婦の不仲とその娘の姿が描かれる。日本人の会社員は帰国前にマッサージに行こうとして、ヤギを連れたその娘に会う。そこに出くわす人力車のおじさんと3人の珍道中が始まる。

この映画で初めて学生達から大きな笑いが起こった。人力車のおじさんの出てくるシーンだが、恐らくその存在がリアルだったからだろう。日本の会社員は誠実だが極めておろかで、これまたウケた。3本の中で唯一現地の学生に受け入れられたのではないか。

実はその後に冨永監督や「チェンライの娘」の脚本家の相澤虎之助氏と東南アジアの3人の先生のディスカッションがあったが、時間が押していたこともあって、参加できず残念。それにしても貴重な体験だった。

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