『追憶と、踊りながら』に響く「夜来香」
昨年に山口淑子=李香蘭が亡くなってから、ここにも書いた四方田犬彦著の『原節子と李香蘭』を読み、最近は自伝『李香蘭 私の半生』を読んだ。そんなおりに来た英国映画の試写状に、李香蘭の歌う『夜来香』が使われていると書かれていた。
5月23日公開の『追憶と、踊りながら』のことだが、監督のホン・カウはカンボジア出身で英国で活躍していると読んで、見たくなった。配給はムヴィオラだし。
これが第一回監督作品とは思えないほどよくできた小品だった。ベン・ウィショーのようなスターも出ているし、ほかの登場人物もピッタリの感じ。
映画は、「夜来香」のレコードが流れるなか、中年の中国人女性を息子らしき男性が世話をしている場面から始まる。すると息子はいなくなって、施設の女性職員がランプを替えに来る。
見ていると、この中国人ジュンは息子を亡くし、息子と住んでいた恋人の男性リチャード(つまりゲイ)が、何とかジュンを慰めようとする物語だとわかってくる。リチャードは若い中国人女性の通訳ヴァンを雇って、ジュンが好意を寄せる英国人アランとの仲を取りもとうとする。
それだけの話ながら、そこに織りなすいくつもの時間に魅了された。ジュンは息子を思い出しながらも、彼がゲイだったとは知らず、一緒に住んでいたリチャードが気にいらない。リチャードはいつも恋人のことを思い出す。今と過去が1つのショットで繋がっている場面さえある。
過去と現在が行き来する展開を息詰まるようなゆっくりした長回しで見せるが、ヴァンがジュンとアランの通訳をするシーンがコミカルでほっとする。それまで全く言葉が通じないで会ってきた2人が、ようやく基本的なことを聞きあうことのおかしさ。
そしてもう一度「夜来香」が流れた時には、思わず涙してしまった。最後は通訳なしで、リチャードとジュンがそれぞれの言葉で話す。言葉とは何か、通訳とは何か、考え込んでしまう。
「事件」はすでに起きた後の話で、何も起こらない映画だが、いくつもの感情が重なって、情緒に満たされていった感じ。登場人物たちの4つのダンスの長回しにそれが集約されている。
別件だが、昨日のブログにコメントで間違いの指摘があったので、今朝直した。やはり記憶だけで書く「ノスタルジア」は危ない。特に私は思い込みが激しいので。
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