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2015年3月16日 (月)

小杉放菴の自由自在を考える

今でも美大には日本画科と洋画科があるように、明治以降の日本の美術は大きく2つに分かれて発展してきた。ところが洋画家なのに日本画も描いた画家が意外にいる。有名なのは小川芋銭や萬鉄五郎、岸田劉生などだが、芋銭は日本画が主で萬や岸田は洋画が主。

ところが同じ頃に生きた小杉放菴(1881-1964)という画家は、洋画から始めてある時期から日本画と洋画の両方を続けている。3月29日まで日比谷の出光美術館で開催の「没後50年 小杉放菴」展を見ると、その自由自在な様子がよくわかる。

素晴らしいのは、80点を超す展示作品の8割がこの美術館の所蔵作品であること。美術館とはこうでなくては。最初は写実的な洋画が並ぶ。文展で最高賞を取った《水郷》(1911)は、竹橋の東京国立近代美術館の常設展によく展示してあるが、小杉放菴ではなく、小杉未醒という名前だったと思う。

この絵は漱石が絶賛したことで知られるが、よく見ると装飾的でどこか日本風だ。それから1913年にパリに渡り、欧州をめぐる。そこで偶然に池大雅の画集を見たことで彼の日本回帰が始まると言われるが、展覧会を見るとそれほど単純ではないように思えた。

そもそも小杉はどこか和風の洋画を描いていた。渡仏して見たピュビス・ド・シャヴァンヌらのナビ派の絵は、日本美術に大きな影響を受けて装飾的だ。だから小杉の中で双方が近づいて、もうどちらでもいいというような感覚になったのではないか。

例えば屏風にブルターニュの図柄を描いたり、山水画の中にサンタクロスまで描く。あるいはキャンバスに油彩で金太郎や天照大神を描く。そして、漫画のような素朴画を水墨で残す。

この展覧会の作品の半分近い作品の制作年が描かれていない。「昭和時代」とか「大正時代」が多い。通常、洋画家が昭和になって日本回帰をしたのは時代の影響と言われる。小杉はそう言われたくなくて、わざと制作年をわからないようにしたのではないか。

本当は時代に翻弄される自分を知りながら、それを知らないふりをして自由自在に洋画と日本画を描き続けたのではないか。これまた日本の近代化の中の一つの類型だろう。そんなことを考えた。

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