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2015年3月21日 (土)

春休みの読書:『李香蘭 私の半生』

春休みはいつもより本を読んでいるが、映画や展覧会を見る数も増えるので、そちらを優先して書く。その結果、触れていない本が溜まってきたので、忘れないうちに書いておく。

山口淑子と藤原作弥の共著『李香蘭 私の半生』は、ずっと前に読んだ気がしていた。今回読んでみて、やはり読んだことを思い出したが、それでも抜群におもしろかった。李香蘭、シャーリー山口、山口淑子と名前を変えて20世紀の日本の歩みと共に生きてきた女優が、自慢や弁解ではなく、淡々と事実を語ろうする姿勢が見えてくる。

以下、気になった点を挙げていく。山口淑子の父親・山口文雄は、17歳で中国に渡り満鉄で中国語を教えていたという。当時の満鉄では中国語検定の有資格者でないと、正規の社員として採用せず、上級になると給料が上がったという。満鉄というと、侵略戦争の産物のように考えがちだが、ちゃんと現地語を学ばせていた。

李香蘭という名前は、父が義理の兄弟の盃を交わした李際春将軍が名付けたものらしい。山口家は李将軍の第二夫人の住む大邸宅に一緒に住んでいた。将軍は自分の「李」という姓に、父の俳号の「香蘭」をつけてくれた。蘭は中国東北地方の名花でもあった。

中国語で「リイ・シャン・ラン」だが、「音楽的な表音のひびきと、漢字字画の「香」と「蘭」のかもしだす雰囲気を理解できるのは中国人だけかもしれない」と書く。「関東軍が日本人を満洲人の女優に仕立てるためにわざわざこしらえた名前という一般に流布された説は事実に反する」

女優になるきっかけは、奉天放送局で歌手として中国語で歌っていたからだが、歌手になったのは白系ロシアの少女リョーバとの出会いかららしい。列車で偶然に会った奉天に住むリョーバと仲良くなり、父が奉天に転勤したので親友となった。リョーバがロシアの著名な歌手マダム・ボドレソフを紹介し、オペラを学ぶことになった。「リョーバが私の弟子入りを頼んでくれていなかったら、私は奉天放送局に歌手としてスカウトされることもなかったし、女優の李香蘭も生まれなかっただろう」

李香蘭の人生は、すべて偶然の連なりだ。マダム・ボドレソフのリサイタルの前座で歌ったら、会場にいた奉天放送局の企画課長に声を掛けられる。中国人の聴取者を増やすための、中国人向けの歌番組の専属歌手を探していたらしい。

女優になったのも、満洲映画協会ができて中国人向けの映画を作ることになり、劇中歌を歌ってくれと頼まれたところから始まる。「映画に出演するわけではない。歌を吹き込むだけです。ひとつ国策に協力してくれませんか」と頼まれて引き受けた。

ところが実は主役だった。製作者のマキノ光雄に「歌だけということでお受けしたのです。こんな恥ずかしいことはできません」と抗議すると、「かめへん、かめへん。まかしときィ。あんた主役やで。やっとるうちにおもろうなる」と乗せられる。

既におもしろ過ぎだが、ここまでで全体の1/4くらい。この後についてはたぶん後日書かないので、本をお読みください。

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