マグリット・ノスタルジア
マグリット展が六本木の国立新美術館で始まったが、珍しくオープニングに出かけていった。なぜなら、かつて15年ほど展覧会屋(ランカイ屋)をやっていた頃に、一番思い出深いのが1994年から95年にかけて開催した「マグリット展」だから。
私は今でもマグリットの絵だけは冷静に見ることができない。それほどその時の仕事は強烈に印象に残っている。初めて自分が外国人と正面から向き合って交渉した展覧会だった。
これは私が企画した展覧会ではない。某新聞社に移ってしばらくすると、S部長から「これはおまえの担当だから」と渡された。その時点で既に都内の百貨店の美術館(今はない)と関西と福岡の美術館の会場が決まっていた。
交渉する相手は、ベルギーのコミッショナーと画商と著作権者。簡単に言うと、この3人がタッグを組んでバブルの余韻の残る日本に要求を突き付けるという図式だった。日本側も甘かったし、彼等にはそれなりの謝礼が渡っていた。
しかし彼らの出してきたリストは小品が多く、とても日本側の満足の行くものではない。我々はそれに抗議し、独自にイスラエルやアメリカの美術館と交渉を始めた。もちろんそれに対して3人は不満だった。
当時はもちろんメールはなかった。毎朝早めに会社に着くと、ベルギーからの仏語のファックスが届いていた。それに日本語訳をつけて部長を始めとする担当者にコピーを渡し、その返事を英語で書くというのが午前中の日課だった。そのファックスを受けて、夕方6時か7時頃に先方からまたファックスが届く。それを協議して返事を書くまでが1日の仕事。
極めつけは、カタログや展示場所についてもすべて自分たちの主張を通したこと。色校の後にあれほど変更したカタログは後にも先にもない。来日しても苦労は続いた。なかでも著作権者は難しく、さまざまな要求を毎日私にしてきた。
今回の展覧会のカタログを見てみると、相変わらず彼の名前があった。会場やパーティで彼を探したが、幸か不幸か会えなかった。これ以上書くと「暴露記事」になるのでこの辺で。3人の中で一番話の通じた画商の姿もなかったし、彼の名前はカタログのどこにも見当たらなかった。
今回のマグリット展は、私が係った20年前のものより遥かに素晴らしい。6月29日まで開催し、その後京都に巡回。
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コメント
いいね〜
まー、お互い、ぼけないように、ぼちぼちでいきましょう!
投稿: 木下 | 2015年8月20日 (木) 22時00分