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2015年4月30日 (木)

15回目のイタリア映画祭:その(2)

イタリア映画祭の初日は、イタリア映画にしては珍しく抽象的な作りの作品を2本見た。『緑はよみがえる』と『ラスト・サマー』の2本だが、どちらも舞台となる場所や時代をはっきり示さない。

『緑はよみがえる』は巨匠エンマンノ・オルミの最新作。チラシには、第一次世界大戦の激戦地・アジアーゴ高原の戦いを描いたと書かれているが、画面には場所も時間も出てこない。観客が見るのは、10人ほどの疲れた兵士たち。

病気に苦しみながら、電話線敷設の工事を進めるが、敵の空襲によって何人も死んでしまう。前半はアップがほとんどなく、そのうえに雪と塹壕のシーンはほとんど白黒映画のように色彩がない。悩み、怒り、苦しむ兵士たちが遠景のように描かれる。救いは朗々と響きわたるある兵士の歌や、手紙が届く瞬間の兵士たちの表情くらい。

そして突然の敵の襲撃。敵の姿さえ見えず、雪だけの風景に、爆撃の音と、人々の叫び声だけが響き、死者が積み重なる。「理不尽」「不条理」といった言葉がそのまま映画になった感じか。リアルな細部に支えられた抽象性ゆえに、この映画は現代でも通用する普遍性を獲得している。

私はこの映画を見ながら、この夏に公開される塚本普也監督の『野火』を思い出した。『野火』の方がずっと派手だが、どちらにも描かれているのは末端の兵士たちの理不尽な日常である。

『ラスト・サマー』は、イタリアのレオナルド・グエッラ・セラーニョリ監督が脚本協力に吉本ばななを迎え、菊地凜子主演で撮った英語と日本語のドラマだ。菊池が演じる離婚した母が、別れた息子と過ごす4日間を描いたものだが、登場するのは菊地のほかに、息子と乗組員や給仕の4人だけ。

すべてがボートの上なので、どこの国かもわからない。服装からするに現代だろうが、10年前だってかまわない。そこで母と息子の再会と和解が描かれる。

こちらも抽象的なドラマだが、いかにも欧米人が思いつきそうな日本をめぐるエキゾチズムが見ていてつらい。菊地は時おり日本語で話し、息子の気を引くために沖縄の音楽を使い、船長との別れに日本式の深いお辞儀をする。

撮影、美術など丁寧に作られているだけに、エキゾチズムとあいまって、美学的な抽象性がドラマを覆い隠している。救いは菊地の演技力で、後半に息子と仲良くなるあたりから天真爛漫な表情やたたずまいが心を動かす。

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