2度目の『バードマン』
私は大学で季節ごとに「見るべき新作」のリストを作って、学生に配る。先日それを配ったら、授業後に学生が「『バードマン』を見たけどよくわかりませんでした」と言ってきた。そんなこともあって、もう一度劇場で見ることにした。
前に見たのは、ベネチア国際映画祭の前で、字幕なしで見た。だいたいわかったつもりだったけれど、字幕付きで見てみたら、ずいぶん印象が違った。一言で言うと、映画人を始めとして、演劇人や批評家への皮肉たっぷりの部分がよく見えてきた。
「ジョージ・クルーニーと同じ飛行機だった」とか「マイケル・ファスベンダーは撮影中」とか「マーティン・スコセッシが客席にいる」とか、映画俳優や監督の実名がどんどん出てくる。そもそも主役リーガンを演じるマイケル・キートンは、かつて『バードマン』で一世を風靡した中年俳優という設定だが、彼自身が『バットマン』に2度も出ている。
あるいはリンゼイ・ダンカン演じるニューヨーク・タイムズの女性評論家のハリウッド批判とそれに切れてしまうリーガンの凄まじいやり取りも、字幕がないととても楽しめない。「あなたはセレブだが、俳優ではない」というセリフから、演劇関係者のハリウッドへの深い憎しみが浮かび上がる。
だから大学一年生には、ある程度の映画の知識がないと難しいし、そもそも映画と演劇の違いもわからないと思う。それ以上にこれは「かつての栄光を思い出して再起を試みる男」の話だ。せめて40歳くらいにならないと、ピンとこないかもしれない。
そのうえ、全編がまるでワンカットで撮ったように見える、手持ちカメラの長回しだ。通常の切り返しによる編集に慣れた眼には、つかみどころがないかもしれない。外から窓を越えてカメラが室内に入っていくシーンなど『市民ケーン』のようだし、人物の背中でカットをつないで切れ目を見せないやり方は『ロープ』のようだ。
だから、まるで勢いで撮ったドキュメンタリーのようなのに、物語はファンタジーに満ちている。最初からマイケル・キートンの幻想が時々出てくるが、後半はバードマンそのものになってしまう。同時に娘(エマ・ストーン)や妻とのやり取りや、ブロードウェー初出演の女優(ナオミ・ワッツ)や劇団内の恋人との会話も何とも繊細で切ない。
そして、マイケル・キートンをイライラさせる若手俳優役のエドワード・ノートンのぶっ飛びぶりが最高に楽しい。彼もキートンもパンツ1つになるけれど、本当にバカバカしくていい。アントニオ・サンチェスのドラムも強烈で、長回しにぴったり。
あれやこれやで盛りだくさんの映画だったが、確かに大学一年生にはいささかハードルが高いかもしれない。
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