ルーヴル展は何度目か
六本木の国立新美術館で6月1日まで開催の「ルーヴル美術館展」を見た。いったい日本でルーヴル展が開かれるのは何回目だろうか。たぶん10回以上だろう。実は私自身も2回も企画に携わったことがある。
当然ながら、毎回テーマを決めて、少しでも新鮮味を出そうとする。今回は副題が「日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」。「風俗画」というのは、「宗教画」や「歴史画」ではないということで、もちろん日本人にはそのほうがわかりやすい。
目玉はフェルメールの《天文学者》。左側の窓から光の入る部屋で地球儀を回す天文学者の絵だが、彼の着る青い日本風のガウンや肩まで伸びる長髪の姿が、何ともポップに見える。天文学者の姿に漂う、世界の「知」を操る自信のようなものが実に今風だ。
これと似たパターンのフェルメールの絵に《地理学者》があって、こちらは4年前に東急文化村に来た。《地理学者》は地図を前にコンパスを操る同じ格好の男性を描いたものだが、今回の『天文学者』の方が顔が半分しか見えず、全体に暗いためにより神秘的に見える。
もう一つの目玉はティツィアーノの『鏡の前の女』。フェルメールは17世紀のオランダの画家だが、こちらは16世紀のルネサンス期のイタリア。フェルメールに比べると宗教性が強いけれど、右手で髪をとかしながら鏡を斜めに見る若い女性は何とも妖艶。インク壺か何かを触る左手にかかる布の鮮明な青も効いている。考えてみたらどちらもフランス絵画ではないが。
全体しては16世紀から18世紀の絵画ばかりで、日本でこれらを見られることは少ないとは言え、いささか退屈する。個人的におもしろいと思ったのは、18世紀フランスの2点。一つはジャン=バティスト・グルーズの《割れた水瓶》で、少女が着飾って立っているが何と左胸の乳首がはみ出ている。そのうえ、両手は陰部を押さえている。まるで最初の体験をした直後のようで、グッと来た。《割れた水瓶》とはそういうことか。
もう1つはフランソワ・ブーシェの《オダリスク》。これまた若い女性の絵だが、ベッドにうつ伏せに寝ていながら、大きなお尻を見せている。そのお尻の大きさというか、弾力性が何ともエロチックでびっくりした。「オダリスク」はトルコのハーレムの寵姫のことで、いわば「東洋趣味」で書かれたものだが、アングルとかルノワールとか同じ題材は多い。
それらを集めて誰か「オダリスク展」をやってくれたらいいのにと思った。そうすれば「東洋趣味」と「エロチシズム」の関係が浮かび上がっておもしろいだろう。ルーヴル展はもうたくさんなので、こうしたテーマ展を見たい。
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