『江戸っ子繁昌記』の夢構造
最近、よく夢を見る。目覚まし時計をかけず、だいたい日の出頃に自然に目が覚めるが、その前後でウトウトして夢を見る。人に追われることもあれば、女性に言い寄られることもある。すべては日頃の無意識の表れか。
そんなわけで落語の「芝浜」という題目が好きだ。魚屋が大金を拾い、仲間とお祝いをして酔って寝てしまう。起きるとそれは夢だと妻が言う。魚屋がまじめになって働いて数年したところで、妻は大家に預けておいた金を出すという内容だが、最後に妻が「お祝いにお酒でも」と誘うと「また夢になっちゃいけない」と断るのがオチ。
フィルムセンターで始まった「東映時代劇の世界 Part2」で、マキノ雅弘監督の『江戸っ子繁昌記』(1961)が、その「芝浜」を題材にしていると知って、見に行った。映画としてはあまり出来のいいものではなかったけれど、その夢の表現はなかなか巧みだった。
この映画には「芝浜」のほか、「番町皿屋敷」の話も組み入れられている。まず、冒頭に妹のお菊(小林千登勢)が井戸に落ちるシーンが出てくる。それから、うなされて起きる兄の勝五郎(中村錦之助)。その後もお菊の姿はあくまで想像や夢のなかでしか出てこない。一度は勝太郎の家に現れさえするが、それは後から考えるとちょうど死んだ時だからまるで『雨月物語』ばりの夢の表現だ。
勝五郎は妻に「悪い夢を見た」と言って、浜に出かけて大金を拾う。勝五郎が仲間と酒を飲んでいるシーンは妙に長回しで撮られていて、夢幻的に見える。さらに勝五郎は妹を思い出す。後から妻に「お金を拾ったのは夢では」と言われると、見ている観客にも夢のように見えてくるから、これが映画のおもしろいところだ。
極めつけは、妹が嫁いだ旗本の青山播磨を中村錦之助が二役で演じていることで、可愛がった妹と結婚した相手は自分そっくりというフロイトばりの構造に見えてくる。結局は、大金も妹も旗本もすべては勝五郎の妄想だったのではないかとさえ思えてくる。
映画はもともと白日夢のようなものだ。昼間から真っ暗な暗闇に入り、光と音の戯れを見ては心を動かして一時の夢にふける。終わってしまうと、いつもの日常が待っている。そんな映画の本質をさらりと見せたような作品だった。やはり黄金期の映画は違う。
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