『雪の轍』の凄まじい会話
去年のカンヌでパルムドールを取ったトルコ映画『雪の轍』が6月27日に公開されるというので、試写を見た。監督はヌリ・ビルゲ・ジェイランで国際映画祭の常連らしいが、日本での劇場公開は初めてと思う。
トルコやイランなど中東の映画といえば、西洋ともアジアとも異なる社会や習慣、自然などを前面に出した「辺境の映画」を想像しがちだ。この映画のチラシも、雪に埋もれた世界遺産カッパドキアの建物を遠くから撮ったスチールが使われている。
実際に、この映画はカッパドキアの中にある小さなホテルが舞台だ。ところが映画のドラマは、そのようなエキゾチズムから遠く離れて、むしろ欧米映画の家族もののような展開を見せる。
ホテルのオーナーで元俳優の中年男性は、若く美しい妻と暮らしながら時おり地元紙にエッセーを書いて悠々自適に暮らしている。そこには妹が夫と別れて戻ってきている。ある時、男が車で出かけている時に、少年から石を投げられた。
この事件をきっかけに、幸福そのもののように見えるこの家族に隠された修羅場が見えてくる。妹は自分を理解しているくれていると思ったが、かなりの皮肉屋で凄まじい議論になる。妻は慈善活動に熱心で、夫に知らせずに自宅で会合を開く。それをとがめると激しい口論に。
妻と妹同志もお互いに罵り合う。3時間16分の映画だけれど、少なくとも2時間は室内の1対1の凄まじい会話の応酬が描かれる。これにいつの間にか引き込まれてしまうのは、一見平凡に見えて実は奥の深い台詞の力なのか、心の襞を描く演出のうまさなのか。
これだけだと裕福な家庭の愛憎劇で本当にベルイマンの映画みたいだが、最初に出てくる石を投げた少年とその家族の存在が、ドラマに厚みを加える。少年の父親は刑務所帰りでアル中だが、妙に存在感があると思ったら、後半でまさかの展開を見せる。
エゴと偽善とお金とプライド。いろいろ考えているうちに、3時間を超す映画はあっと言う間に終わっていた。トルコの山奥の話なのに、現代の日本人にズシリと来る。ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』で使われていたシューベルトの「ピアノソナタ20番」の第2楽章が繰り返し聞こえる。この曲は最初は月並みな印象を与えるが、見終わるとずっと後を引く。この夏、必見の映画!
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