« エドワード・ヤンのいた頃 | トップページ | オリヴェイラが亡くなった »

2015年4月 9日 (木)

「ダブル・インパクト」展から「小林清親」展へ

東京藝大美術館で開催中の「ダブル・インパクト」展に再び触れる。この展覧会のおもしろさは、西洋美術に接した日本の美術家たちの矛盾した反応が裏表から見えるところにある。西洋の遠近法や油絵具を取り入れながらも、一方で日本らしさを追求し、同時に西洋での評判に時にはおもねる。

その態度が今も続く「日本画」と「洋画」というジャンルを生み出しているのだから、まさに現代に至る近代日本の社会形成と同じような矛盾を作り上げたとも言えるだろう。極端に言えば、白井聡の『永続敗戦論』にも通じるような永遠の負け戦さの始まりである。

当然ながら、西洋絵画が来る前は「日本画」という概念はなかった。すべての絵が日本画だったから。フェノロサやビゲローがやって来て、いわば国際基準で「日本画」という概念を作る。日本独自でありながら、西洋人にわかりやすい絵ということで、文人画ではなく狩野派の系譜に連なる画家たちに焦点が当たる。

狩野芳崖や橋本雅邦などの「わかりやすい日本画」がそうだが、今回驚いたのは、チラシなどにも使われている小林永濯の《菅原道真天拝山祈祷の図》。菅原道真が天拝山上で無実を訴えて天神になる瞬間を描いたものだが、天神さまのイメージとは大きく異なり、まるで野蛮人が雷に打たれて気が狂ったような様子が、劇画タッチで描かれている。

もちろんこれはボストン美術館蔵で、日本なら当時も今も全く評価されないだろう。劇的でわかりやすい日本画の路線は、東京美術学校の初代校長となる岡倉天心に引き継がれる。そこから菱田春草や横山大観、下村寒山が生まれてくる。

このあたりでおもしろいのは、いわゆる「朦朧体」と批判的に呼ばれた春草や大観らの絵が、アメリカで高い評価を得たこと。今回、ボストン所蔵としてそのいくつかが展示されている。「朦朧体」とは東京美術学校を追われた岡倉が大観たちと作った「日本美術院」の最初の傾向を揶揄した言葉だが、海や山を輪郭線なしに茫洋と描いていて、これがわかりやすさを求めるアメリカで受けたとは興味深い。

この展覧会には日清戦争を描いたボストン所蔵の小林清親の版画も2点展示されている。「光線画」と呼ばれた光と影を駆使した絵を残したこの画家は前から気になっていたが、彼については練馬区立美術館で個展が始まったので、後日書きたい。

|

« エドワード・ヤンのいた頃 | トップページ | オリヴェイラが亡くなった »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/61407553

この記事へのトラックバック一覧です: 「ダブル・インパクト」展から「小林清親」展へ:

« エドワード・ヤンのいた頃 | トップページ | オリヴェイラが亡くなった »