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2015年4月25日 (土)

春休みの読書:『芸能人の帽子』

もうすぐGWになるけれど、春休みに読んだ本についてメモしておきたい。中山千夏著『芸能人の帽子』は、年上の友人に貸してもらった。私の世代だと、中山千夏は芸能人というよりも、社会運動家というイメージの方が強い。

もちろん、1960年代の「名子役」の頃は記憶にない。年齢的には記憶にあるはずの『ひょっこりひょうたん島』もあまり覚えていない。テレビは早い頃から自宅にあったけれど、そもそもNHKを見る家庭ではなかった。

私のイメージは、まずは1968年から76年まで司会をしていた日本テレビの『お昼のワイドショー』だろう。いわゆる「マルチタレント」の一人で、青島幸男や横山ノックと同じ感じ。彼らの後を追って中山も国会議員になったし。当時は「タレント議員」と呼んでいた。

この本は、この頃から国会議員になるまでの自分を主に雑誌記事を再録しながら構成したものだ。まず、中山の青島評がおもしろい。「青島幸男にとってのテレビ出演は、楽しみでも金儲けでもなかった。自分の顔と名前を、忘れっぽい有権者に覚えておかせるための、選挙戦略の一環だった」。

「お昼のワイドショーは、有楽町そごうデパートの上にあるホールから放送された」という記述にも驚いた。昔の映像記録センター、今の角川シネマの場所のはずだ。確かに妙な作りだとは思っていた。中山の母は「フランクさんの有楽町へ行くのよ」とはしゃいだという。もちろん「有楽町で逢いましょう」のことであった。今はスタジオどころかデパートもない。

1969年の女性週刊誌に「中山千夏時代が来る!」と特集があり、名前に「才女ブス」とルビが振られていたらしい。確かに私のイメージも「才女」というのは当てはまる。彼女はヌードにはならなかった。ヌードの名手、立木義浩の手にかかっても脱がなかったらしい。「脱がない。私の主体性はそこまでだった」。それが「才女ブス」ということか。

彼女は膨大な本を残している。18歳の時に東宝の脚本コンクールに偽名で応募して最終選考まで残ったのが、最初らしい。それからエッセーを出したり、小説を出したり。ある時期から大学生の間に「チナチスト」というのが出てきたらしい。「サユリスト」が吉永小百合のファンを指すように、これは中山千夏のファンらしい。

これも今では理解しがたい。この本は彼女が結婚したあたりで終わる。私のイメージはむしろ、その後のウーマンリブ活動や参議院議員時代の方が強い。

10年ほど前に、上野の目立たない野外カフェで、彼女が何かの打ち上げをしているのに出くわした。5人ほどの男性を従えていた。その時は何だか「終わった人」のような感じがしたけれど、今でも昔を振り返る本を出しながら生き延びていることに、妙に感心する。流し読みするのは楽しい本だった。

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