春休みの読書:『地図と領土』
小説を読まなくなったのは、いつ頃からだろうか。30半ばくらいから、仕事で必要に迫られて読む本が増えたからかもしれない。特に外国の小説は縁遠くなった。ミシェル・ウェルベックの新作小説『地図と領土』も1年ほど前に買ってあったのに、ようやく読んだ。
この本を買ったのは、だいぶ前の同じ著者の『素粒子』が大好きだったから。正確に言うと、オスカー・レーラー監督による映画化作品を気に入ってドイツ映画祭で選ぶことになり、その後に原作を読んだ。やはり仕事がらみだった。
『素粒子』は、異父兄弟が抱く母との愛憎を描きながら、現代における遺伝子の問題を問い詰めていた。今度の新作は何の予備知識もなしに読み始めたら、何と主人公ジェドは現代美術作家で、小説家のウェルベックが登場人物として出てくる。
読み終わって見ると、アーティストの孤独な人生を艶やかな文体と終末論的な世界観で描いた秀作だったが、読んでいる時は、この美術作家がこれから売れだすのか、あるいはウェルベックはどうなるのか、ドキドキしながら読んだ。
現代美術をめぐる記述はいかにもありそうだし、皮肉たっぷりの表現も随所に散らばっている。
「二十一世紀初頭においては単純で、確実なタイプに対する礼賛が戻りつつあった。女性の場合は成熟した美、そして男性の場合は力強い肉体。これはジェドにとって必ずしも有利な状況でなかった」
「ジェドのもちまえの中立的な礼儀正しさ、自作について口をつぐんでいる態度は、あれば真面目な芸術家だ、<本気で仕事をしている>芸術家だという印象―実際、それは正しかった―を与え、大いに彼を引き立てたのである。礼儀正しい無関心さを保ちながら他の人々の間を漂ううちに、ジェドはかつてアンディ・ウォホールの成功の源となった<グルーヴィー>な態度を、知らないうちに多少身につけていた。ただしそこには真剣さのニュアンスも加わっており、それが直ちに、世の中のことを考える真剣さ、<市民としての>真剣さとして受け止められた―ウォホールの五十年後、これが不可欠なポイントとなっていた」
長くなってしまったが、現代におけるアーティストやインテリの処世術をこれほど的確に示した文章はないだろう。「中立的な礼儀正しさ」と「市民としての真剣さ」。この小説にはこうした表現がいっぱいだ。実在するフランスのテレビキャスターやエッセイストなども多数登場するが、もちろん私には彼らに対する皮肉はさっぱりわからない。それでも、何となくわかる。
後半にウェルベックは謎の死を遂げ、刑事が前面に出てきて突然サスペンスタッチに変わる。それでも人生の喜びと悲哀と滑稽さを描く世界観は変わらず、ジェドの人生も晩年まできちんと描かれる。「そうしてみると、彼の人生は不幸な人生だったとはいえなかった」
やはり優れた小説を読んだ後ならではの、映画のどちらかというと熱しやすく冷めやすい感覚は全く異なる、静かな長い充足感がそこにあった。たまには小説を読もう。
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