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2015年5月 3日 (日)

29回目のイメージフォーラム・フェスティバル

GWの映画祭には、「イタリア映画祭」以外に「実験映画」を中心とした「イメージフォーラム・フェスティバル」がある。カタログにはこれまでの受賞者が書かれているが、それによると87年に始まったようだ。つまりは今年で29回目ということになる。

1987年は私が勤め始めた年で、受賞作品名を見ると見覚えがある。これから5年ほどは通っていた気がする。93年に転職してからは仕事が忙しくなって自分でも映画祭を始めたので、「実験映画」からは離れた。

そしてこの5年ほど前から、再び通い出した。学生の作品が出たのがきっかけだが、映画を教えるからには新しい映像を見ておかなくてはと思ったから。始まった頃は今はなき渋谷のシードホールが会場だったが、今は新宿のパークタワー・ホール。駅からずいぶん遠くて不便だが。

ポール・シャリッツの回顧上映を見た。「構造映画」「フリッカー・フィルム」の巨匠だが、それこそ30年以上前に福岡で短編を見て以来。『N:O:T:H:N:G』(1968)は、赤、青、黄の原色が明滅する、まさにフリッカーの映画。時おり大きな雑音がしたり、電球が見えたりするが、基本的には光の明滅だけの作品。これが36分続くと、目も脳も相当やられる。

次の『癲癇発作対比』(76)は、最初は光の明滅だけだが、その中に頭にいくつもの電線を付けた男の映像が映り始める。この男は、まるで電気椅子に座った死刑囚のようにもがき苦しむ。それが明滅する映像として30分間続くので、見ている側は自分が拷問を受けているような気分になる。

癲癇患者の脳波を検査する医学フィルムを使ったらしいが、これほど不快度の高い映像も珍しい。実を言うと、2本を見終わって目が痛くなり、翌日まで尾を引いた。

現代の作品としては、萩原朔美の『ミシンと機関車』とかわなかのぶひろの『経路(route)』を見た。どちらも巨匠による私小説的な映像だが、ここぞという映像を見せる力と全体に漂うある種の余裕が心地よい。どちらもナレーションの部分を字幕にしていたのが、興味深かった。

萩原の映画は、機関車を見て万歳をする子供の頃の写真から始まる。同じ場所で30代、40代、60代で撮った写真も加わる。ミシンと汽車と映画を同一視する視点は怪しげだが、後半に各国語のエンドマークをいれながら映し出す静止画像の風景の連続に心が動く。

かわなかの映像は、飼っていた猫の死から始まる。そして友人たちの死や教え子の文学賞受賞シーン。そこに作家本人の手術の体験も語られる。映像の一つ一つに愛情が込められていて、優しい音楽と共に胸を打つ。

その2本の間に、若手公募作品の『in the room』と『ほったまるびより』が上映された。どちらも女性作家によるもので共に力作だが、本当に言いたいことが私には伝わってこなかった。ベテラン2人の間に見たせいもあるけれど。そして「実験映画」も続く。

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