『夏をゆく人々』の土の匂い
「ネオレアリズモ」という呼称は、実は難しい。今から見ると、ロッセリーニもデ・シーカもヴィスコンティも全く違うものに見えるからだ。そんななかで、私は勝手に「土の匂い」のする映画がネオリアリズモではないかと思っている。ロッセリーニならば『ストロンボリ、神の土地』。
ヴィスコンティは初期のみで、とりわけ『揺れる大地』だろう。ジュゼッペ・デ・サンティスの『にがい米』もここに加えたい。それを引き継ぐ監督だと、80年代までのエルマンノ・オルミやタヴィアーニ兄弟だろうか。
前置きが長くなったが、8月22日公開のアリーチェ・ロルヴァケル監督の『夏をゆく人々』を見た時一番感じたのは、その「土の匂い」だった。イタリアの田舎で蜂蜜を作る一家の話だが、全編を通じて地面や草花や古い家屋や海の匂いがむんむんしている。
草原の中に立つ一軒家で暮らす一家の夏の日々。父親は頑固なドイツ人で、夏は外で寝る。妻と子供4人と同居人のドイツ人女性と共に蜂蜜を作って暮らしている。海も近く、海水浴へ出かけてテレビの撮影クルーと出会う。あるいは、ドイツ人の少年をしばらく預かることになる。父親は突然ラクだを買ってきて、妻を怒らせる。長女が勝手に応募したために、一家はテレビに出演する。
いくつかのできごとが、一見脈絡のない感じで起きては終わり、時間だけが過ぎてゆく。何が起きても変わらない生活がそこにあり、家族みんながそこに浸っている。夏休みだから学校はないのかもしれないが、社会とのつながりはテレビ局くらい。携帯電話もコンピューターもテレビもそこにはない。考えてみたら、いったいいつの時代の話なのか。
父親はふだんはイタリア語を話しているが、妻と口論する時はなぜかフランス語を使う。同居のドイツ人女性やドイツの少年にはドイツ語を話す。ドイツ人の少年はイタリア語ができないが、少しずつなじんでゆく。彼は口笛が得意で、長女はそれに合わせて蜂を顔の上で歩かせる。この一軒家では、普通とは違う時空でコミュニケーションが成立しているかのよう。これまたロッセリーニ的ではある。
母親役のアルバ・ロルヴァケルは最近のイタリア映画の話題作によく出る女優だが、この映画ではすっぴんで生活感が一杯だ。監督が彼女の妹ということもあるだろうが、手持ちカメラで(たぶんフィルムで)時間をかけてじっくり撮影された感じが出ている。長女役のマリア・アレクサンドラ・ルングも自然そのもの。
見終わると「ああ、こんな生活がしてみたい」と思ってしまうような、ある意味で「夢の映画」である。
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