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2015年5月21日 (木)

『私の少女』のミニマルな魅力

『国際市場で会いましょう』に次いで、また劇場で韓国映画を見た。チョン・ジュリ監督の『私の少女』だが、このブログへのコメントでおもしろいとあった。それから『冬の小鳥』と同じく、韓国女性の第一回監督作品というのも気になった。

そのうえ、主演が『冬の小鳥』の少女キム・セロンだし、共演はペ・ドゥナだし。ふたりが並んだポスターのビジュアルも良かった。実際に見てみると、『冬の小鳥』ほどの衝撃はないがなかなかの秀作だった。

何より、脚本がいい。同性愛とそれを取り巻く社会、児童虐待、外国人の違法雇用、都会と地方の差といったいかにも現代的な大問題を取り込みながらも、シンプルな展開に仕立てている。エリートの警察官僚の若い女性(ペ・ドゥナ)と家庭で虐待を受ける少女(キム・セロン)を軸に、映画はするすると進んでゆく。

まず、都会的な女性が田舎に着くところから始まる。彼女はそこでカエルに虫を与えている寂しそうな少女に出会う。女は夜中に大量の酒を飲まないと眠られないほどの不安を抱えていることがわかる。なんだか不穏な感じが溢れていて、ここまでで物語世界に引き入れられる。

女は不祥事で1年間だけ地方の警察署長として赴任したことがわかる。娘は母親に捨てられて、血のつながりのない継父とその母親に育てられている。中盤で女のもとに女性の恋人が現れるあたりから、いったいどうなるのかとサスペンスも増してくる。

孤独を自分で抱え込んだようなペ・ドゥナがいい。遠くを見つめるような表情が何とも痛々しい。そして素直でありながら悪魔的な部分を持つキム・セロンも抜群の存在感を見せる。このふたりが美しい田園に立つだけで、現代的ないくつもの問題が素直に伝わってくる。

ほかの人物造形はいささか類型的だし、特に凝った映像があるわけではないけれど、女性の内側の微妙な心の揺れをそのままに描いた力量は相当のものだと思う。『国際市場で会いましょう』とは対極にある、ミニマルだが魅力あふれる小品だ。

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コメント

今日、『私の少女』についで、新所沢で『海にかかる霧』をみましたが、韓国映画の波は止まりませんね。次は
新宿で僕も、『国際市場で逢いましょう』を見ようと企んでいます。

投稿: さかた | 2015年5月26日 (火) 23時00分

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