『チャッピー』の痛快さ
ニール・ブロムカンプ監督は長編第一作『第9地区』(09)であっと言わせたけれど、次の『エリジウム』(13)は割に普通のSFになってしまった。さて3作目はと思ったら、今回の『チャッピー』は『第9地区』を思わせるようなはじけ具合で痛快だった。
設定は2016年のヨハネスブルグ。すぐにも来そうな未来というのがミソだろう。そこでは技術者のディオン(デーヴ・パテル)が開発した、スタントと呼ばれるロボット警察官が犯罪を取り締まっている。ここまでは『ロボコップ』に似ている。ディオンはさらに人工知能を持つロボットを開発するが、会社からは受け入れられない(社長はシガニー・ウィヴァー!)。
ディオン知能を持つロボットの試作品を独自に作る。普通のSFならば、このロボットが会社や警察と対立するが大衆の支持を受ける、という展開だろう。ところがこの映画がおもしろいのは、このロボットがギャングに盗まれて、別のギャングとの抗争に巻き込まれることだろう。
さらにディオンは、人間が統御する巨大なロボットを考案する別の技術者(ヒュー・ジャックマン)の攻撃を受けることになる。つまり人工知能を持ったロボットのチャッピー(こう名付けるのはギャングの妻)は、ギャング同士と技術者同士という、いわば仲間内の争いに巻き込まれる。
だから、人類や世界を守るというような最近のSFにありがちなセカイ系的な道徳感は皆無だ。チャッピーがギャングたちに教育を受けて、知能を高めてゆく過程はほんとうにおかしい。そしてあっと驚くクールな結末に至っては、開いた口がふさがらなかった。
この映画にリアリティを生むのは、巨大なビルが立ち並ぶそばに、大きな空き地や廃棄された無人の工場やビルが存在するヨハネスブルグという街そのものだろう。短い時間で大都市になったために、金と権力と暴力が闊歩するような未熟で過激で矛盾だらけだ。
私は前にここに書いたように、南アフリカのケープタウンに行ったことがあるが、そこも似たような感じだった。カフェや書店や映画館といった普通の人々が安らげる娯楽の場がなかった。そういえば、乗り換えのヨハネスブルグ空港で空港職員を名乗る男に騙されて小銭を取られたことを思い出した。
映画に戻ると、ギャングの夫妻がいい味を出していた。ニンジャとヨーランディという名前だが、この芸名でラップ・ミュージシャンとして活躍しているらしい。そのビジュアルや演技のテンポが堂に入っていたのはそのせいだろう。チャッピーも良かった。あの感じは『ベイマックス』や『寄生獣』に似ている。
公開されたばかりだが、劇場の入りはいま一つだった。今年一番のSFなのにもったいない。
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