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2015年5月16日 (土)

『さよなら、人類』再見

最近は、去年の9月のベネチアに出た映画を再見することが多い。『バードマン』も『ルック・オブ・サイレンス』もそうだが、8月公開の『さよなら、人類』もそうで、ベネチアで金獅子賞を取った作品。原題は「存在について考えながら枝に止まる鳩」。

映画祭の後半にこのスウェーデン映画が現れた時、世界から集まった評論家や記者は面食らった。それまで一番評判が良かったのは『バードマン』だったが、ほかにもファティ・アキン監督の『カット』やマリオ・マルトーネ監督の『レオパルディ』(イタリア映画祭で上映)など、いかにもの力作が揃っていた。

そんなところにひょろりと現れた脱力系のこの映画に、みんなどう反応すべきか困っていた感じだった。翌日の星取表も1つ星から5つ星まで分かれた。そしてふたを開けてみると金獅子賞。それを知った時は、個人的にはコンペで最も個性的な作品だが、最高賞はほめ過ぎではと思った。

しかし今回再見すると、金獅子賞にふさわしい作品に見えた。クリーム色を基調として、派手な色や太陽の光もない地味な色彩の世界にたたずむ孤独な人々の姿は、まるで人類の終わりを描いたよう。固定ショットで室内の人々を数分ずつ写すやり方は、一見思いつきの即興的なコントのように見える。

ところが2度目に見ると、いかにそれぞれの場面の構図が考えられているか、時々入る音楽や物音がいかに絶妙かがわかってくる。例えば、何度か出てくるアメリカ民謡の「リパブリック讃歌」(日本では「おたまじゃくしはカエルの子」で知られる)の効果的なことといったら。

映画は冒頭に奇妙な死の場面を3つ写した後に、人生の一瞬を見せる場面が数分ごとに入れ替わる。何度も出てくるのは、面白グッズを売り歩く2人の中年サラリーマン。しかしながら、例えば部屋の窓を開けて上半身裸でタバコを吸う男を後ろから女が抱きしめるだけで、そこにドラマが巻き起こる。映画はこんなちょっとした瞬間を積み重ねながら、次第に大きな感情を呼び起こしてゆく。

3つの非日常的なシーンがある。一つ目はカフェの60年来の常連の老人を写した後に、1943年のカフェに移行する場面。貧乏な兵隊達が女主人に次々にキスをして酒を飲みながら歌を歌うシーンは忘れがたい。

2つ目は、現代の鄙びたカフェに18世紀の騎兵隊や国王が闖入してくる場面。国王がカフェで働く美青年を気に入るシーンは抜群におかしいし、それ以上に彼らが戦争に負けて帰ってくるときに現代の人々が一緒に泣くシーンはすばらしい。

一番すごいのは、巨大な殺人楽器が現れるシーン。このイメージの豊饒さについては見るしかないので、ここでは伏せておこう。

人間の小さなドラマを1ショットずつで見せるという、映画の原点に戻ったようなとんでもない野心作だ。おそらく見るたびに新しいおもしろさを発見できるだろう。今後の映画の行く末を考えるうえで、極めて重要な作品ではないか。

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