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2015年5月12日 (火)

古典に驚く:その(2)『漱石書簡集』

朝日新聞で『こころ』の連載が始まってから、初めて新聞の連載小説を読むようになった。『三四郎』『それから』と続けて読んでいる。そんなことから手に取ったのが、岩波文庫版『漱石書簡集』。

18歳前後に2年近く入院していた時期に、漱石や芥川の全集を揃えてすべて読んだ。漱石の書簡を読むのはその時以来かもしれない。これがずいぶんおもしろかった。

漱石は東大を出て松山や熊本で教えた後にロンドンに留学し、それから東大講師をしながら小説を書き始めて、朝日新聞社に入社してプロの小説家となった。書簡集は松山で教え始めた前後の正岡子規への手紙から始まる。

「単に希望を羅列するならば教師をやめて単に文学的の生活を送りたきなり。月々五、六十の収入あれば今にも東京へ帰りて勝手な風流を仕る覚悟なれど、遊んでをつて金が懐中に舞い込むといふ訳にもゆかねば衣食だけは少々堪忍辛抱して何かの種を探し(但し教師を除く)、その余暇を以って自由な書を読み自由な事を言い自由な事を書かん事を希望致候。然るに小生は不具の人間なれば行政官事務官などは到底してくれる人もなく、あつても二、三月で愛想を尽かすにきまっておれば大抵な口では間に合わず」

要するに、教師はやめて文学を読んだり書いたりする生活を送りたいが、その金がない。役人には向かないがどうしようかという、ずいぶん呑気というか自分勝手な相談である。そして帝国図書館ができるというが、そこでは職はないかななどとつぶやく。

漱石の教師嫌いは東大講師を辞めて朝日に入社するまで続く。社会の役に立とうというような言葉は一切なく、ひたすら好きなことだけをしたいという感じがいい。『こころ』や『それから』の働かない主人公像は、まさにここから来ている気がする。

1900年に船でロンドンに向かう。留学中の手紙も興味深い。日本人としての劣等感が垣間見える。

「当地に来て観れば男女とも色白く服装も立派にて、日本人はなるほど黄色に観え候。女などはくだらぬ下女の如き者でもなかなか別嬪有之候。小生如きあばた面は一人も無之候」

「日本にいる内はかくまで黄色と思わざりしが当地にきて見ると自ら己の黄色なるに愛想をつかし申し候。その上背が低く見られた物には無之非常に肩身が狭く候。向こうから妙な奴が来たと思ふと自分の影が大きな鏡に写つてをつたりするなど事毎々有之候。顔の造作は致し方なしとして背丈は大きくなりたく、小児はなるべく椅子に腰かけさせて座らせぬがよからんと存候」

この2通は妻の鏡子宛だが、顔が黄色く背が低い事を恥じ、自分の子供は椅子に座らせて背を高くした方がいいと妻に言うのだから相当だ。向こうから妙な奴が来たと思ったら鏡に写った自分だったというのは、笑えないような精神状態だろう。

書簡集はまだほんの出だしだが、引用しすぎて長くなった。これは再度書く。

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