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2015年5月28日 (木)

『ダブリナーズ』の陶酔感

最近、漱石に凝っているので、同時代の本を読みたいと思って買ったのが、ジェームス・ジョイスの短編集『ダブリナーズ』。これまでは『ダブリン市民』として知られているが、翻訳者の柳瀬尚紀氏はこの邦題にした理由を解説に書いている。

柳瀬氏と言えば、かつて同じジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の超訳で有名だった。ダジャレや言葉遊びの生み出す言葉のリズムを日本語に移すために、ほとんど支離滅裂な言語を作り出していた。1990年代前半に前編が訳された時に厚い本を買ったが、「さっぱりわからないがおもしろい」という摩訶不思議な読書体験をした記憶がある。

柳瀬氏の解説によれば、都市名の後にerをつけてそこの住民を表す例は「稀有と言ってよい」。ベルリン、ロンドン、ニューヨーク、チューリッヒ、そしてダブリンくらい。確かにニューヨーカーというと特別な住民という感じ。「Dublinersという書名は特殊なのだ」「Dublinersという言い方を英語の文学空間にデビューさせようとする野心がうかがえるのだ」

この短編集を読むと、カタカナで「ダブリナーズ」と呼びたくなる感じがわかる。特別な都市に住む変わった奴らばかりが出てくるからだ。若者も老人もみんな人生に絶望していて、どこにも光がない感じというか。それでいて味わい深い。

この短編集はジョイスの初期に属するもので、1913年に出版されている。漱石の『こころ』は翌年の出版で亡くなったのが1916年だから、晩年に当たる。けれど『ダブリナーズ』は晩年の作と言ってもいいくらい、人生の苦渋に満ちている。

物語はどれも、数人の人生の一瞬をさらりと見せるだけだ。説明的な文章がなく、ひたすら人物や周囲の描写のみ。だから急いで読むと、何を言いたいのかわからない。しかしゆっくり読むと陶酔感を味わえる。

どれもいいが、あえて好きな短編を挙げたら、「エヴリン」Eveline。エヴリンという名前の19歳の娘が、出会った船乗りの恋人と共にブエノス・アイレスに出発する夜の数時間を描く。父と別れることに何の未練もなかったはずだが、窓辺でたたずんでいると聞こえてきたオルガンのアリアに、「できるかぎりの間は家の面倒をみる」という母との約束を思い出す。

「だめ!だめ!だめ!行けない。彼女の手は鉄の手摺をつかんでいた。海のただ中で苦痛の叫び声を上げていた」

そうして彼女は留まる。それだけの話だが、妙に残る。この短編集で一番有名なのはもちろん最後の「死せるものたち」The Deadで、これは少し長い。パーティの後に自宅で妻を抱きしめようとした中年の男が、妻から若い頃に好きだった男のことを告白される話。

この部分はかつて映画になった。ジョン・ヒューストン監督の遺作で『ザ・デッド/「ダブリン市民」から』(1987)という邦題だった。ずいぶん渋い映画だったが、もう一度見たくなった。それ以上にダブリンに行きたくなった。ダブリナーズ!

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