漱石はパンクである
2003年に私が関わった小津安二郎生誕百年記念の国際シンポジウムで、ポルトガルの監督、ペドロ・コスタは「小津はパンクである」と言って話題になった。彼によれば、20代半ばでパンクロックに凝っていた頃、小津を見たらパンクのようにストレートでモダンでカッコいいと思ったという。
最近、朝日新聞連載の『それから』を読みながら、彼の言葉を思い出した。彼にならって、「漱石はパンクである」と言いたくなった。例えば一昨日の連載では、大学を出ながら仕事をしない主人公、代助が働かない理由を述べる。
「日本中どこを見渡したって、輝いている断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何といったって、何をしたって、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ」
まるで忌野清志郎の歌みたいだ。先日ここに書いた『漱石書簡集』にはさらに本音が見える。東大講師を辞めて朝日新聞の社員となり、『三四郎』などを連載して好評を得た頃、文部省から博士号を授与するという知らせが来るが、彼はいらないと断る。
「小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先もやはりただの夏目なにがしでくらしたい希望を持っております。従って私は博士の学位を頂きたくないのであります」
文部省も驚いたらしく、さらにしつこくもらうべきだと言ってくるが、漱石はにべもなく断る。
「毫も小生の意志を眼中に置く事なく、一図に辞退し得ずと定められたる文部大臣に対して、小生は不快の念を抱くものなる事を茲に言明致します」
明治時代において、文部大臣に「不快」と言うのだから、恐いものなしだと思う。もともと漱石は「博士」や「教授」のような権威が嫌いだった。有名な朝日新聞への「入社の辞」でも「新聞屋が商売ならば、大学屋も商売である。商売でなければ、教授や博士になりたがる必要はなかろう」と述べる。
何と痛快な言葉だろう。漱石と比べるのはおこがましいが、新聞屋から大学屋に転職した私は、せめてこの言葉を忘れないようにしたい。
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