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2015年5月19日 (火)

3回は泣いた『国際市場で会いましょう』

何とも軽い『脳内ポイズンストロベリー』を見たので、その反動なのかコテコテの韓国映画『国際市場で会いましょう』を見た。見ている間、最低でも3回は泣いてしまった。隣の60歳過ぎの女性は、冒頭からハンカチを出して泣き通しだったけれど。

見に行った一番の理由は、最近イタリアのウディネで開かれた「極東映画祭」で、この映画が『寄生獣』や『0.5ミリ』や『百円の恋』など12本の日本映画を抑えて観客賞の一位だったと読んだから。イタリア人が一番好きだったアジア映画とはどんなものかと思った。

そのうえ、この映画は去年韓国で1400万人以上が見て、歴代興収2位になったという。1400万人とは、日本なら興収200億円近いとんでもない数字。監督は『TSUNAMI-ツナミ-』のユン・ジュギョン監督だが、その映画は見ていない。

平日の昼間にもかかわらず、映画館は女性を中心とした中高年層で混んでいた。私の知らない韓国の有名俳優が出ているのかとも思ったが(後で東方神起のユンホが出ていると知った)、映画の内容自体が年配層向きだった。釜山に住む老人夫婦が、1950年代から現代までの苦労した日々を語るというもの。

まず1950年に朝鮮戦争の混乱で、興南の波止場で主人公の少年ドクスは父と妹と生き別れる。そこでまず泣く。ドクスは、母と弟や妹を連れて、釜山の国際市場で店を出す父の妹夫婦の家に身を寄せる。青年になったドクス(ファン・ジョンミン)は、弟や妹の学費を払うために1963年にドイツの炭鉱に出稼ぎに行く。

そこで爆発事故が起こって、また涙。1966年に釜山に戻ったドクスは、出稼ぎ中に出会った韓国人の看護学生ヨンジャ(キム・ユンジン)と結婚するが、伯母の店を買い取る資金を作るために1974年にはベトナムに出稼ぎに行く。そして1983年、南北分断で生き別れになった離散家族を写す場面やそのテレビ番組で、また泣いてしまった。妹との再会に至っては、劇場中に泣き声が響いた。

戦後において、韓国や台湾は地理的に中国やソ連に近いという理由で、米国の意向で長い間軍政を強いられてきた。そのぶん日本は経済発展だけを目指すことができたわけだが、この映画を見ると改めて韓国の現代史は日本の何倍も激動の時代だったのだと痛感する。

いささか大味な演出だが、朝鮮戦争や離散家族なども巨大なオープンセットを使ってしっかり見せているし、ドイツやベトナムの部分も海外ロケできちんと撮っている。台湾映画の『KANO』でも思ったが、現代史を扱ってこれほど泣ける映画を今や日本では誰も作れないのは間違いない。個人的な泣いた度合いだと、イタリア映画の『輝ける青春』に近いか。

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