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2015年5月22日 (金)

既に終わった「片岡球子展」から

映画の場合、見たら翌日か遅くても数日のうちにここに感想を書く。そうしないとすぐに細部を忘れてしまうから。ところが美術展の場合は、チラシとHPがあれば後からでも書けるので、つい後回しになってしまう。今日はだいぶ前に見た片岡球子展」について書いておきたい。

東京国立近代美術館で開催されていたが、気がついたら既に先週末で終わっていた。私はこの美術館の企画展はいつもレベルが高いので、必ず見ることにしている。片岡球子はつい最近まで長生きしたせいか(103歳!)、みんなが寄ってたかって持ち上げていた感じがどうも嫌で、食わず嫌いだった。

今回初めて彼女の画業をまとめて見た。昔から「ゲテモノ」と呼ばれた、豪華絢爛でデフォルメされた日本画の大作がぞろりと並んでいた。日本画でありながら花鳥風月を描かず、ピカソのように人体をモチーフに形や色彩の実験を繰り返し続けた軌跡はそれなりにおもしろかった。

とりわけ後半の「面構」シリーズは歴史上の人物を自由に描いたもので、まず見ていて漫画的でおかしい。とりわけ江戸時代の浮世絵師を描いたものは、背景に作品があってまるでジャポニズムに影響を受けた印象派の絵みたいだ。北斎と馬琴が揃って笑う絵などは、二人の黄色い顔が本当に気持ち悪い。

ましてや国芳と現代の浮世絵研究家の鈴木重三氏が並んだ絵などは、時空を超えていて完全にタガが外れている。その後ろにあるのは、国芳の作品ではなくそのもととなった鯨が泳ぐ風景というからすごい。確かに浮世絵の派手さと様式化は球子の世界に近いので、浮世絵の世界に没入していったのだろう。

晩年の裸婦は、初期を思わせるシンプルさ。真ん中に大きく中年の裸婦が描いてあるだけだが、赤や青や黄を使った色の組み合わせなのに、どれもリアルな情感を生み出していた。長生きした画家の晩年らしい、澄み切った作品で、見ていていい気持になった。

正直に言うと個人的に好きなタイプの日本画家ではなかったが、それでもこれだけまとめて見るとおもしろかった。この展覧会は来月から愛知県美術館へ巡回するというので、見逃した方は名古屋へ。

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