「ぴあ」ノスタルジア
「朝日新聞」の「リレーおぴにおん」という欄で「セブンティーズ」と題して、毎回ひとりが1970年代について語っている。最近、1970年代が妙に気になるので嬉しい。初回の「ぴあ」の矢内廣社長の話でちょっとびっくりした。
「ぴあ」といえば、今では「チケットぴあ」か「ぴあフィルムフェスティバル」で知られているけれど、かつては情報誌のことだった。映画や演劇を見に行くのに、これほど便利な雑誌はなかった。
学生時代を福岡で過ごした私は、東京に来るたびに分厚い隔週刊の「ぴあ」をめくって福岡に来そうにない映画や芝居を追いかけた。この記事によれば、週間になったのは1990年。
驚いたのは、創刊が1972年で、首都圏最大部数の53万部だったのが1989年だったこと。1972年といえば、日本でいろんなことが起こった。何といっても、あさま山荘事件で学生運動が終焉を遂げ、田中角栄が「日本列島改造論」を掲げて総理になった年である。
まさに政治の時代から消費、娯楽の時代への転換点。そんな時に今で言う「エンタメ」情報紙ができた。街頭デモの代わりに、「ぴあ」を持って映画を見に行った。
映画界で言えば、大映が倒産し日活がロマンポルノを始め東宝が製作を子会社化したのが前年の1971年。それから70年代後半から「ぴあフィルムフェスティバル」ができて、森田芳光や大森一樹たちが出てきた。
1989年はもちろん、ベルリンの壁が崩壊し、昭和が終わった年。世はバブルの最盛期だったが、この少し後からコンピューターや携帯電話が始まる。
去年のぴあの売り上げ1271億円のうちチケットぴあが9割を占めるという。ぴあは紙の情報紙からコンピュータの時代へと見事に情報産業としての転身を遂げたことになる。コンピューターの前は、長い間(つながらない)電話予約だったが。この時代感覚はすごいのではないか。
ちなみに映画界で言えば、観客数は1958年の年間11億人以上を頂点に下がり始め、1972年に2億人を割った。それからは現在までおおむね1億5千万人前後で、何と40年以上横ばい状態。1972年にはディズニーランドもゲームもネットもスマホもなかったので、それを考えると健闘していると言えなくもない。
個人的には、雑誌の「ぴあ」がないので不便で仕方がない。空いた時間に見る映画を探すのが、ネットだとずいぶん時間がかかる。「ぴあ」だと1分だったのに。廃刊は2011年で6万部だったというが。
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