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2015年6月20日 (土)

ペッツォルトの戦後70年

ドイツのクリスティアン・ペッツォルト監督は、私がドイツ映画祭で上映した『幻影』(2005)や『イェッラ』(07)は現代ものだったが、『東ベルリンから来た女』(12)ではドイツが東西に分かれていた時代を描いた。8月公開の新作『あの日のように抱きしめて』では、第二次大戦直後が舞台という。

そのうえ、主演が『イエッラ』や『東ベルリンから来た女』と同じニーナ・ホスという。何かを奥に秘めた謎めいた女を演じたら、まずドイツでは右に出る者はいない。踊る心を抑えながら、試写を見に行った。

映画は、期待にたがわず力作だった。ドイツの国境で、スイスのパスポートを持つ女が、顔中に包帯をした友人女性と共にドイツに入国する場面からはじまる。レネという女は、収容所帰りの友人ネリーを病院に連れてゆき、治療をさせる。

ネリーの包帯が取れていって、ニナ・ホースが演じているとわかった時にはびっくりした。傷が治り始めて、次第に物語はネリーの視点に移る。彼女はピアニストだった夫のジョニーを探して夜の街を彷徨う。「フェニックス」というアメリカ兵相手のバーで見つけるが、相手は気づかない。レネはジョニーがネリーを裏切ったことを教えるが、ネリーは信じない。

まず、レネがいい。青や赤のダサいようなモダンなようなシャツを着てネリーに接する姿は、どこか男性のように強く、同性愛的なものを感じさせる。そして顔に傷を負ったネリーが、化粧をして赤いドレスを着て赤い唇を塗った瞬間は忘れがたい。

ネリーは死んだと信じるジョニーが、彼女を自転車の後ろに乗せて森を走るシーンに溢れる情感といったら。『東ベルリンから来た女』でニナ・ホースが1人で乗る自転車も良かったが、今回はより複雑な感情が入り混じる。そしてラストでネリーの歌う「スピーク・ロウ」には心地よさと恐ろしさの混淆がある。

終わりのクレジットでその歌がクルト・ヴァイルの作曲と知って驚いた。もちろんブレヒトの『三文オペラ』の作曲家で30年代にはアメリカに逃れたはずだが、彼の英語の歌がドイツで歌われていたとは。

こういったドイツ人には自明の細部が、もっともっとあると思う。その意味で今回の映画は日本人には少しわかりにくいけれど、『東ドイツから来た女』の謎めいた雰囲気が好きな人ならばきっと気にいると思う。何より表情や服装や仕草や歌に映画的な快楽が溢れているから。

もうひとつ、ドイツ人から見た戦後70年はこういうことかとも思った。

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