『サイの季節』の象徴性
『ペルシャ猫を誰も知らない』(09)でイランを亡命したバフマン・ゴバディ監督が、最近来日したという。あの映画の日本公開の時は、パスポートがなくて来日できなかったはずだから、今回はそれがクリアされたのだろう。
来日したニュースをネットで見たら、新作が見たくなって7月11日公開の『サイの季節』の試写を見た。2012年の作品で、東京フィルメックスでも上映されたが、劇場公開までに3年もかかっている。
確かに日本人にとって親しみやすいテーマではない。1979年のイランのイスラム革命後に逮捕された詩人サヘルは、30年後に釈放されて妻ミナのいるトルコに行く。ミナはかつての運転手でサヘルを逮捕させたアクバルと一緒に住んでいた、というもの。
実話に基づいたこの物語を、この映画は過去と現在を行き来しながら描く。そのうえ、描写はリアリズムではなく、ときおり抽象的な表現も混じる。だから普通の観客にはちょっと手ごわいかもしれない。
それでも主人公の苦渋は、見ていてひしひしと伝わってくる。刑務所で頭に黒いベールを被せられたままでキスをするサヘルとミナなんて、まるでマグリットの絵画みたいだ。いくつもの亀が下に落ちて行ったり、馬が車の中に顔を突っ込んだり、車がサイをひき殺したり、車が沈む水中に多くのサイがいたり。
これまでの作品以上に象徴的な描き方をして93分という短さに押し込んだのは、たぶんイランを離れて撮ったためにある種の距離感があったからだろう。表現の自由を奪われたイランが、今や寓話のように思えてきたのではないか。
ミナを演じるのは何とイタリアのモニカ・ベルッチ。ちゃんと一度だけ見事な胸を見せてくれるが、それ以外はひたすら耐える女を演じる。30年後の老いた姿が痛々しい。黒髪のせいか、中東の女として全く違和感がない。そもそも彼女が欧米で人気があるのは、どこかオリエンタルな雰囲気があるからだと納得した。
3年後とはいえ、こういう映画がきちんと劇場で上映されるとは、日本の映画界にもまだまだ良心が残っていると思う。
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