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2015年6月19日 (金)

京都の話:その(8)

浅田彰氏は、最近の東京国立近代美術館の企画展がおかしいことをどこかに書いていた。確かに台湾のヤゲオ財団所蔵の「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」展など、展覧会名からしてどこかヘンだし、内容も何でもありだった。

先日、京都の学会のついでに大阪の国立国際美術館で「高松次郎 制作の軌跡」展を見た。浅田彰氏が同じ文章の中で、東近美の「高松次郎 ミステリーズ」展はひどいが、こちらはすばらしいと書いていたからだ。東京の高松展が3月1日までの開催で、大阪の高松展は4月7日から7月5日までなので、普通に考えたら巡回展だと思う。

それが全く違うという。そう聞くと見たくなる。同じ国立美術館で、巡回予定のものが、途中で意見が分かれて別々の展覧会にしたのかと勘繰りたくなる。実際に大阪展を見てみると、東京展は作品数を抑えて、立体作品が多く、だだっ広い空間にしたり、真ん中に全体を見渡す場所を設けたりした、相当に作為的な展示だったことがわかる。

そもそも「高松次郎 ミステリーズ」という題名からしてセンスがない。「高松次郎 制作の軌跡」の方がスッとわかるし、展示内容もまさに「軌跡」を追うものだった。作品リストを見比べると、東京展は絵画と立体が45点にドローイングが151点。大阪展は、立体もドローイングも含めて、448点。

大阪展の場合は、とにかく地味なドローイングがひたすら並んでいる。一番驚いたのは、ブックデザインの仕事が多かったことだ。ミシェル・フーコーの『言葉と物』やコリン・ウィルソンの『オカルト』など、昔自分の本棚にあった本が彼のデザインになるとは知らなかった。確かにシンプルで象徴的な彼の絵は、デザインに近いところがある。

ドローイングをひたすら見ていると、この芸術家にとっては、平面や空間や時間をめぐって思考する過程こそが大事だったことがよくわかる。なおさら「制作の軌跡」という副題がぴったりだと思う。大阪展には、自分の影を写して遊んだり(写真撮影も可!)、少し高い台から全体を見渡すような、インターアクティブあるいはパフォーマティブなところはないが、そんな要素はもともと高松の作品にはない。

京都では、初めて相国寺に行った。ここの法堂の天井画《蟠龍図》は狩野光信が描いたもので、下から見ると目が舞いそうだ。手を叩くと、反響して龍が鳴くような音が確かに聞こえる。その隣にある承天閣美術館では「伊藤若冲と琳派の世界」展が開催中だったので見た(9月23日まで)。

これは相国寺のほか鹿苑寺(金閣)・慈照寺(銀閣)の所蔵品を集めたもので、立派な美術館。若冲が動物や植物を自由に描いた襖絵や屏風がいくつも並ぶ。とりわけ鹿苑寺大書院の墨絵の襖絵は、見ていて何とも楽しかった。まだまだ、京都の奥は深い。

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