『宰相A』にやられる
田中慎弥の『宰相A』をようやく読んだ。あの田中氏が安倍首相を皮肉った小説ということで早く読みたかったが、3月頃ネット注文した時は一時的に品切れだった。田中慎弥といえば、『共喰い』で芥川賞を取った人で、久しぶりに土俗的な私小説作家が出たと思ったものだ。
ところが受賞の記者会見で彼は受賞は当然と言い、「都知事閣下と都民各位のために、もらっといてやる。もう、とっとと終わりましょうよ」と言って話題になった。
そんな人が安倍首相を描いたらどうなるかと思ったが、初めての近未来小説は期待を裏切らない展開だった。出だしは、母の墓参りをして次の小説のネタにしようと電車に乗っている小説家が出てくる。いつもながらの私小説風だが、居眠りをして目が覚めると「パラレルワールド」とも呼ぶべき世界にいた。
そこではアメリカ人が支配し、公用語は英語。国民は「戦闘服を模した深緑色の制服を着ている」。「政治体制は二本人(アングロサクソン)によって形成されるが、首相は旧日本人の中から頭脳、人格及び民主主義国日本への忠誠に秀でた者が選ばれる。これは主権を奪われた旧日本人(選挙権は与えられていない)を封じ込めるためのやり方で、現在の日本国が成立した時から踏襲されている」
そして首相のAは街頭のモニターで「戦争こそ平和の何よりの基盤であります」と演説する。「あの態度そのものが演説です。あれでもだいぶ体調がいい方でしょう。何しろひどく悪くなって一旦は首相を辞めたくらいでしたから」。その局部は肥大し、「首相の表情が乏しいのは局部に体力を奪われているからと言われています」
おもしろ過ぎだ。主人公のT(田中?)は、かつての反乱者のJにそっくりなので目をつけられ、旧日本人の住む居留地は、政府から攻撃を受けそうになる。ところがTの引き渡しを要求に来た女とTは車の中で交わってしまい、その女は拷問に会う。
そうして気がついたら、という結末もシニカル。思わずあらすじばかり書いたけれど、文体は饒舌で夢幻的なために、現実と妄想の間を行き来する感じ。途中からの展開があまり面白くなかったが、平気でこんな設定で小説を書く勇気は何ともすばらしい。日本をほんのちょっと違う角度から見たら、この小説の世界に見えるかもしれないと思うと、恐ろしくなる。
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