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2015年6月26日 (金)

父が夢に出た

今朝がた、あっと驚いて起きた。父が夢に出てきた。父が62歳で亡くなってから、もう25年がたつ。たぶんその間、夢に出てきたことは一度もない。今も元気な母はよく出てくるのに。

夢の中で父が現れたのは、外国だった。ローマのテルミニ駅だろうか。父は大きなバンを運転して駅に現れた。私はすぐに乗ろうとしたが、連れの数人は預けた荷物を受け取りに行っていた。私は父にしばらく待ってくれと言った。

荷物を持った仲間を連れて戻ると父の車はなかった。携帯(父の生きた時代にはなかったが)で呼び出すと、10分ほどして現れた。車を止められなかったので、近くを回っていたという。私が助手席に乗ると、父の顔は血だらけだった。「あんまり寂しかったから、頭を窓にぶつけた」と言って、泣きそうな顔をしていた。

運転を始めると、本当に泣きだして車を止めた。仕方なく私は代わって運転をしたが、ペーパードライバーの私はカーブを曲がり切れず、車は宙に浮いた。あっと叫んで一度起きた。気がつくと、ホテルだった。父は一人で寝るのは寂しいと言ったが、何とか部屋に押し込んだ。

翌朝5時頃に起きると、父はいつの間にか私の部屋にいた。お腹がすいたという。フロントに電話をすると、朝食が運ばれてきた。なぜかそれは和食で、30皿ほどをちゃんちゃんこを着た大勢の家族が運んできた。父はようやく笑った。そこで目が覚めた。

考えてきたら、私の父は「悲しい」とか「寂しい」とかとは無縁の人だった。私が小さい頃は大きな会社を経営していたし、それがつぶれてからは、個人商店の経営者として、いつも威張っていた。毎晩、酒を飲み、気分がいいと歌を歌っていた。

「朝日新聞」の家庭面に「おやじのせなか」というコーナーがあるが、あの小さな欄さえ埋められないほど、私の父は単純に威張っていた印象しかなく、内面というものを一切見せなかった。

その父が寂しがる夢をなぜ今頃になって見たのか。精神分析的な解釈は可能だろうが、私が父が亡くなった年に近づいて、自分の寂しさを投影させたに違いない。ところで、私が「寂しい」というのも、みんな信じてくれないかも。

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