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2015年7月16日 (木)

舟越保武の静謐さ

もともと彫刻は苦手だ。美術館の庭やロビーに飾りのように置いてあるのがピンと来ない。ましてや役所や駅前にまである「平和を祈る少女像」のようなものを見ると、気持ちが悪い。それでも個展を見たらおもしろいかもしれないと思って、練馬区立美術館で9月6日まで開催の「舟越保武彫刻展」を見た。

舟越保武は、今では人気の彫刻家、舟越桂さんの父上といった方がわかりやすいかもしれない。そしてこの展覧会を見ると、まさに桂さんの源流が手に取るようにわかる。

舟越保武の彫刻は、1930年代の初期から90年代の晩年に至るまで、全くぶれていない。凛とした美しい人間の姿を作る、それだけを繰り返している。あえて転機があるとすれば、戦後すぐに生まれたばかりの長男を亡くして、キリスト教に入信したことだろう。

そこから聖人像が生まれ、《長崎26殉教者記念像》(62)に至る。この展覧会では実物が4体も出ているし、それに至る多数のデッサンもある。このあたりでは《原の城》(71)に一番心を打たれた。これは島原の乱で殺された男を描いているが、その呆然とした顔の立像を見て、私はもうすぐ公開される塚本普也監督の映画『野火』を思い出した。

監督本人が演じる兵士が、密林の中で呆然と立ち尽くす姿とあまりにも似ている。「非業の死」というものが全身に現れているからだろう。ぜひ塚本監督にこの彫刻を見て欲しい。

それから、80年代に始まる聖女たちの胸像の何と美しいことか。とりわけ諫早石と呼ばれる砂岩を使った《聖セシリア》や《聖クララ》など、見ているだけで嬉しくなる。そして最後に病気で倒れた後に左手で作ったちょっと異様な彫刻が並ぶ。

会場のあちこちに、彫刻家の文章がパネルで展示されていた。その中に、自分は好きな仕事をしてお金をもらうことが大好きな職人だ、現代美術の潮流なんて関係ない、という意味の文章があった。ひたすら自分の信じる美を作り続けるうちに、ある種の普遍性や現代性が生まれたのだろうか。とにかく現代のわれわれが見ても、どこかモダンで心に響く。

一度だけこの彫刻家を見たことがある。舟越桂さんのアトリエでサンパウロ・ビエンナーレの打ち合わせをしていたら、車椅子に乗った保武氏が現れた。今思うと、右半身不随になった直後だろう。元気に息子に手を振っていた姿を覚えている。

猛暑の中で精神的な涼しさを求めるなら、この展覧会を勧めたい。絶対的な静謐さが展示空間を満たしている。

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