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2015年7月22日 (水)

『岸辺の旅』はメロドラマだった

10月1日公開の黒沢清監督『岸辺の旅』は、今年のカンヌで監督賞を取ったこともあり、喜び勇んで試写を見に行った。結果は当たりというか、これまでの黒沢作品と違ってだんだんと情感が盛り上がる感じの映画だった。

ピアノの個人教師をして暮らす瑞希(深津絵里)の夫・優介(浅野忠信)は、3年前に失踪していた。ある日、白玉を作っていたら自宅の居間にオレンジ色のコートを着た夫が現れる。夫は自分で「死んだ」と言いながら、「オレと一緒に来ないか」「いい場所があるんだ」と誘う。2人は奇妙な旅に出る。

それは夫がこの3年間に行った場所だった。どこもちょっと古びた小さな街で、優介の友人は新聞販売店や大衆食堂や農園を営んでいた。何となく懐かしい雰囲気が漂っていて、そこで暮らす人々が愛おしくなる。

かと思うと、瑞希は現実に帰って優介の愛人(蒼井優)に会いに行ったりする。そして夫に会いたいと思ってまた白玉を作る。奇妙な旅で出会う人のなかには本当は死んでいる人もいたり、瑞希の父親が出てきたり。まるで生と死を行ったり来たりしているなかで、夫婦の情感が高まってゆく。

この監督にしては珍しく盛り上げる音楽を使っていることもあり、最近DVDで見たダグラス・サークの『わたしの願い』のようにメロドラマに見えてくる。これまで見たことのない作りの映画なのに、なぜか古典的な風格を備えている。

もちろん、ふたりが乗る列車やバスのたたずまい、部屋の奥の揺れるカーテンや、遠くにいる人々、小さいながらいつも聞こえる物音など、黒沢監督ならではの繊細な演出は際立っている。小松政夫や柄本明らの脇役の枯れ具合もいい。だけど今回の映画は、これまでと違って夫婦の純愛に収斂してゆく。

見ていて何とも気持ちのいい映像だったが、見終わると狐につままれた気分になった。これは公開時にもう一度見ないと、このすばらしさの秘密はわからない気がする。

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