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2015年7月10日 (金)

風刺画で見る黄禍論

パリでシャルリー・エブド襲撃事件があったのは今年の1月だが、その時から考えていたのは、いわゆる「黄禍論」もまた、雑誌の風刺画だったはずだということ。黄禍論は、19世紀末にヨーロッパで始まったアジア人排斥思想を指す。

きちんと説明した本を読みたいと思っていたら、飯倉章著『黄禍論と日本人』という新書に出会った。この本は19世紀末から第2次世界大戦に至るまでの欧米の風刺画を調べて、アジア人蔑視の系譜をたどるというもの。140点を超す風刺画が載っていて、なんともリアルだ。

黄禍論を広めたのはドイツの皇帝だというのは聞いていたが、それ以前にも日本を揶揄する風刺画はあった。それが1894年の日清戦争をきっかけに広まったという事実は知らなかった。「日清戦争において日本は世界政治の舞台に初めて登場し、大きな注目を集めた。それが風刺画の世界でも日本が政治的軍事的な意味での主役に躍り出るきっかけとなった」

とりわけ風刺画が増えるのは、翌年4月の下関条約に三国干渉が始まったあたりから。そして三国干渉が成功した後に、ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世は寓意画「ヨーロッパの諸国民よ、汝らのもっとも神聖な宝を守れ!」を欧州の王室や米仏の大統領に送る。

この画像は「黄禍論」で検索すると出てくるが、高台にいる欧米人が、自分たちの土地がアジアに浸食されつつあるとして、十字架の下に結束を呼びかけるもの。「アジアを象徴しているのは、火炎を吐いている龍とその上に乗っかっている仏陀である。巨大な龍は、公式解釈の通り中国を表すと考えてよいだろう。しかし、その上の仏陀は単純に日本を象徴している、少なくともカイザーはそう意図していたと言い切れるだろうか。断定することはできない」

この寓意画には、その後さまざまなパロディーが欧米の雑誌に現れる。驚いたのは、当時寓意画を入手した明治政府の元老たちが、1896年にこれを明治天皇に見せていたことだ。『明治天皇記』に「外務大臣黄禍の図を上(たてまつ)る」として記述されているという。

それから1896年の義和団事件に至って、風刺画は増える。「日本は西洋列強の国際舞台に加わったことによって、文明と進歩の側に描かれ始めた」。この本はそれから、1904年の日露戦争や1906年に始まるカリフォルニアの日本人学童差別問題などを風刺画で説明してゆく。

そして膨大な数の風刺画の後に、戦争が始まる。なんだか歴史は繰り返すような気がする。

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