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2015年7月23日 (木)

それでもパスカル・フェラン

なぜか、フランスの女性監督が大好きだ。先日ここで書いた『エデン』のミア・ハンセン=ラヴがそうだし、中堅だとクレール・ドニやパスカル・フェランがいる。実を言うと、3人とも会って話したことがある。9月26日公開のパスカル・フェランの新作『バードピープル』を見た。

パスカル・フェランは、3本目の『レディ・チャタレー』(06)までは、ちょっと変わった映画を作る監督だった。『死者とのちょっとした取引』(94)は3人の主人公が身近な者の死を体験して、死者と共に生きるという『岸辺の旅』のような話だったし、『ABCの可能性』は演劇学校の10人の生き方を代わる代わる描いた集団劇だった。

ところが『レディ・チャタレー』で直球の恋愛劇を描いた。私は愛に生きる主人公のふたりに心底しびれたが、この後は何を撮るのだろうかと心配だった。ところが『バードピープル』は最初の2本にも増して、変わった映画だった。途中からスズメが主人公になるのだから。

映画は空港のそばのホテルで働くオドレーと、パリにやって来て会議の後に1泊してドバイに行こうとするアメリカ人のエンジニア・ゲイリーを主人公に描く。といっても、想像しがちな出会いの物語ではない。

ゲイリーは会議の途中でドバイで自分に課せられた任務が重大であることを悟り、夜中にすべてから逃げ出したくなる。オドレーは大学に通いながらホテルのメイドのバイトをしているが、仕事は退屈で投げ出したい。そこでオドレーはスズメを見て、いいなと思う。

ゲイリーやオドレーが空港のそばのヒルトン・ホテルの窓から見る風景が何ともいい。昼も夜もいくつもの飛行機がゆっくりと離陸したり、着陸したり。ふたりとも、窓のそばで気持ちよさそうにタバコを吸う。私は空港ホテルに一度も泊まったことはないが、泊まってみたいと思った。そこにスズメがやってきて、オドレーが乗り移ったように、スズメの視点ですべてを見る。

これまでのこの監督の映画と違って、感情移入がしにくい。前半のゲイリーの部分も、後半のオドレーの部分もそれぞれリアルに描かれているのだけれど、ふたりとも自分勝手すぎる。それがスズメの登場で一挙に軽やかになる。猫やフクロウに追われたり、絵を描く日本の画家に可愛がられたり。

なんだかわからないままに、いい気持ちになって終わった。監督のオリジナル脚本というが、こんな自由な映画があってもいいじゃないかと思う。そういえば、主演のふたりは知らない俳優だったが、ホテルのフロント係がロシュディ・ゼムで、ゲイリーのフランスの顧客はイポリット・ジラルドと、脇役に大物を揃えていた。脚本協力に若い女性監督、セリーヌ・シアマの名前があったのも気になった。

この監督は東京国立博物館を案内して、天ぷらを食べた。口数が少なく、短髪で洒落っ気のないシンプルな女性だった。

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