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2015年8月 8日 (土)

話題を呼ぶ映画『FOUJITA』

試写を見終わった後に、とにかく誰か知り合いと話したくなる映画がある。配給や宣伝の方に対してではなく、友人に本音を言いたい気分。11月14日公開の小栗康平監督『FOUJITA』は、まさにそんな映画だった。

会場を出たとたんに、友人を見つけて大声で「やってくれましたねえ」「やりたい放題」と言い合った。「『眠る男』かと思った」「小栗監督の映像インスタレーション」などなど。

小栗康平監督が、オダギリジョーを主演にパリでフジタを撮っているという話は聞いていた。その時に、どこか違う気がしていた。とりわけ最近の小栗監督は静かな人間を撮っているので、フジタのような波乱万丈の人生には向かないのではないかと思った。

その予感は的中した。前半は1920年代のパリ。ピカソ、ドンゲン、モディリアーニ、スーチン、キスリングなど外国出身の画家たちの華やかな交流が描かれる。ところがそれはまるでバラバラのスケッチのようで、ドラマになっていかない。明らかに東京のセットで撮られたカフェのシーンにはリアリティがゼロ。そのうえ、フジタはいつも冷めている。

パリ時代の最後が「フジタ・ナイト」だが、そのフェリーニばりの大騒ぎも作り物のようで、なぜか盛り上がらない。フジタも相変わらず淡々としている。そのうえ、全体に画面が暗く、アップが少ないのでフジタ以外はキキもユキもおもしろいはずの人物たちが印象に残らない。

1時間ほどで、舞台は説明もなく突然日本になる。「決戦美術展」にフジタの《アッツ島玉砕》が展示されており、フジタは国民服でそのそばに立つ。それから始まる5番目の妻の君江(中谷美紀)との生活。ここからもドラマはないが、その停滞した静かな生活が、ようやく映画のトーンと合いはじめる。

鎌倉への旅。疎開先の暗い家の中での夫婦の会話。疎開でお世話になった家の息子(加瀬亮)の出征。そしてサイパン島の玉砕を描くために見た映画。後半もバラバラだけど、ひとつひとつの考えつくされたカットのつながりが、フジタの孤独を際立たせる。そして戦後にランスに建てた「シャペル・フジタ」で映画は終わる。

フジタの絵自体がラストを除くとあまりきちんと見えないし、後半の戦争画も、20年代後半にフジタが描いた《構図》や《争闘》などの大作(2008年の藤田展に出ていた)などがあるとつながるのだが、それもない。あらゆる説明を欠いたなかで、超然としたフジタを小栗監督の美学が克明に描いている。

私はフジタは何度も展覧会を見ているし、晩年の君江夫人と交渉をしたこともあるので諸事情も知っているから、この映画を物足らなく感じたのだろうか。たぶんそうではなくて、小栗監督の描き方自体が独特なのだろう。これは、いろいろな意味で今年後半の話題を呼ぶ映画ではないだろうか。

終わりに出たランスの「シャペル・フジタ」は何と1984年9月以来、行っていない。一緒に行ったMさんは函館に住んでいるはずだが、元気だろうか。

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