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2015年8月15日 (土)

『黒衣の刺客』に震える

久しぶりに震えるような映画を見た。9月12日公開のホウ・シャオシェン監督『黒衣の刺客』。冒頭のスタンダードの白黒画面に女2人が馬で現れた時、恐ろしいほどの緊張感を感じた。

映画は、黒い服を着た孤独な女刺客の話だ。女道士に預けられて13年間剣の修業をした隠娘(インニャン、演じるのはスー・チー)は、暴君の田李安を殺そうとするが、最後に躊躇する。なぜなら彼はかつて結婚を誓った相手だったから。

一言でいうとそれだけだが、場面が変わるごとにその美しさに息を飲む。例えば田李安が妻と話す場面は、幾重にも広がる薄い幕とろうそくの光がこの世とは思えない夢幻の空間を生み出している。すごいのは室内ばかりではない。荒野に色とりどりの服を来た人々を乗せた馬が走る時、ほとんど昔の山水画のような景色が広がる。

全体を貫くのはインニャンの孤独と愛憎だが、それは全く語られない。すべては色や音に込められて純化された形で見る者に迫ってくる。彼女のアクションシーンは多くはないが、感情を押し殺したミニマルな動きが何ともカッコいい。白樺の木々の中で戦うインニャンと敵の女性のシーンの壮烈さといったら。

妻夫木聡演じる元遣唐使の鏡磨きの青年の存在が、ある意味で救いになっている。彼が磨いた鏡を見て、人々は陽気になる。彼が傷ついたインニャンに薬を塗る時に漂う官能性。あるいは彼が日本を思い出す映像は、格別に美しい。中国とは違う、甘い感じの世界が広がる。ちなみに彼の役は終わりのクレジットでは「磨鏡少年」と出てきた。

この映画を見て、ちょうど最近見た田能村竹田の江戸時代の山水画を思い出した。日本にいながら中国に憧れて、中国の絵そっくりの絵ばかり描き続けた田能村と、台湾にいながら想像で唐時代を作り出したホウ監督はどこか似ていないか。

かつて『非情城市』などの傑作を連発したホウ・シャオシェン監督は、最近はもうダメかと思っていたが、これだけ純度の高い映画を作るとは。この抽象性の強度は、ロベール・ブレッソンやカール・ドライヤーの域に達している。21世紀の新しい映画の頂点のひとつができた。

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