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2015年8月23日 (日)

映画本新刊3冊

映画に関する新刊は一応気にしている。特に研究書は、できるだけ買う。最近読んだのは、四方田犬彦著『テロルと映画 スペクタクルとしての暴力』、野崎歓著『アンドレ・バザン 映画を信じた男』、岡田温司『映画は絵画のように』。

3人とも私より少し年上の学者だが、その旺盛な執筆活動にはいつも驚いている。ところがこの3冊は、それぞれ違った意味でどこか肩すかしだった。

『テロルと映画』は、何よりも最初のあたりで、私の大好きなイタリア映画『輝ける青春』についての間違った記述でつまづいた。「爆弾闘争で長らく獄中にいた女性と政府の要職にある男性の35年にわたる来歴を描いた長編メロドラマ」と書いている。

獄中にいた女性の夫ニコラは精神科医。政府の要職にいるとしたら、ニコラの姉の裁判官のことか、あるいはニコラの妹の夫で銀行の要職にある男のことか。同じくらいの字数なら「医者と警官になった兄弟を中心に、1970年代からの35年間のイタリアを、ローマのある家族を中心に描いたメロドラマ」と私ならまとめる。

後半にこの映画について再度触れられているが、ニコラは「ニコル」とフランス風に書かれている。ここにも「官僚から政府高官の道を歩む」と書かれているし。あるいは兄が実はゲイでというのも間違い。著者がこの映画に対して批判的で、その意味は私もある程度わかるけれど、名前や筋を間違えてはいけない。

それを除くともちろん刺激に満ちた本だが、ブニュエル、若松孝二、ファスビンダー、ベロッキオといった著者が好きな作家たちのテロを扱った映画を次々と紹介しているだけと言えないこともない。『輝ける青春』もそうだが、オリヴィエ・アサイヤスの『カルロス』についても、厳しい見方をしている。単に私がこの2本が好きだから反発を覚えたのかもしれないが、この著者にしては軽い本という気がした。

『アンドレ・バザン』は、バザンの『映画とは何か』を翻訳したばかりの著者の新しい解釈と思って期待して読んだ。ところがこれは著者がずっと前に書いた大学紀要用の論文をまとめたものだった。紀要にしてはずいぶんストレートな感じのバザン読解だけど、その分私にはためになるところがあった。

例えばサルトルが『市民ケーン』を公開時に批判したことなど知らなかった。こんな映画はフランス映画にいくらでもあると。そしてジョルジュ・サドゥールら批評家たちが次々にそれに賛同する。バザンはほとんどひとりで弁護する。「ここには完全なリアリズムをめざす立場、現実を均質なもの、スクリーンのあらゆる部分において不可分な、等しい密度を持つものとみなす態度がある」

そのほかロッセリーニ弁護の理由など、なかなかわかりやすく書いてあってためになった。大学生にもわかりやすいだろう。ただし後半のアジア映画や宮崎アニメとバザンの関係は、私にはいまひとつピンと来ない。

『映画は絵画のように』は、美術史家がかなり時間をかけて映画について考えた本なので、後日論じたい。

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