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2015年8月22日 (土)

写真は「意識の流れ」を写すのか

「意識の流れ」という言葉を聞いたのは、高校生の時だと思う。20世紀前半に起こった小説の手法で、ジョイスの小説のように、時系列ではなく人間の意識の流れに従って叙述するというような内容を、国語の先生に聞いた気がする。これはカッコいいと思った。

ところが大学に入ってジョイスやプルーストやフォークナーなどを少し読むと、ちんぷんかんぷんだったり、退屈だったりした。そのあたりから私の興味は映画に向かうのだが、今回この懐かしい言葉を思い出したのは「鈴木理策写真展 意識の流れ」と題した展覧会を見たからだ。

初台の東京オペラシティアートギャラリーで9月23日まで開催中の展覧会だが、最初は何とキザで思わせぶりなタイトルかと思った。そのうえ、招待状は通常の封筒にはいっておらず、A4のビニールに入って送られてきた。開けてみると、チラシは文字だけのオフホワイトの紙に、それをあえてはみ出した分厚い写真がくっついていた。つまりこれを折り曲げて欲しくなかったのだろう。

展覧会場も、ある意味では思わせぶりだ。最初は熊野の写真で薄暗いなかに大判の写真がピンスポットで浮かび上がる。次に少し明るくなって、「水鏡」というテーマの小部屋。そして最後がまぶしいほど明るい部屋に、雪と桜の写真が並ぶ。

熊野は海の写真に始まって、だんだん山の写真になる。海を見ながら頭がくらくらするような、あるいは森の中を彷徨ううちに幻影を見てしまうような、そんな感じの写真が続く。そして奥には火祭りを撮ったビデオ。

「水鏡」にも真ん中にビデオがあって、池の水のうつろいを写す。まわりに水と森がつながるような数点の写真。そして最後に雪と桜。左手にはほとんど真っ白に近い写真が並ぶ。ここにもビデオがあるが、そのほか小さな写真を並べた箱も数点。

このギャラリーは展示の始めか終わりに長い廊下があるが、今回は展覧会の終わりの廊下に何があるかと期待していたら、入ったところに1点のみ。あとは、薄暗い廊下が続く。そして出口だが、そこは「水鏡」の部屋につながっていて再び入ることができる。ううん、うまい。

自然と向き合った時の心の揺らぎのようなものを、それぞれの写真は捉えている。それらを照明も含めて巧みに構成して、まるで自然の中を歩いているような気分にさせる。この全体の演出はなかなかのもので、こういう写真家もいるのかと感心した。写真を撮るだけでなく、展覧会の構成・演出からチラシやチケットまでその美学は一貫している。年齢を見たら私より少し若かった。

数日後、プールで泳いでいた時に光に揺れる水底を見たり、水の中から外を見たりしていた時に、ふとこの展覧会を思い出した。「意識の流れ」かどうかわからないが、無心に帰った時に見える風景のような気がした。

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