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2015年9月30日 (水)

34年ぶりの『ピロスマニ』

11月21日に公開される『放浪の画家 ピロスマニ』を見た。これは1969年の映画で、私が見たのは1981年だと思う。大学に入ってしばらくして、憑りつかれたように映画ばかり見ていた時期があった。その頃、4本の映画が特に印象に残ったが、これはその1本。

ノスタルジアついでに言うと、あとの3本は、アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』とテオ・アンゲロプロスの『アレクサンダー大王』と鈴木清順の『陽炎座』。前に書いたかもしれない。

これらの3本の監督は、その後の映画をすべて公開時に見てきた。ところが『ピロスマニ』のゲオルギ・シャンゲラヤの映画は、たぶん日本に来ていない。覚えているのは、80年代半ばにパリにいた頃、彼の名前を情報紙で見つけて見に行ったら、ずいぶん退屈な民衆劇のようなミュージカルだったこと。これがどの映画だったのか、今回のプレス資料を見ると、兄のエルダル・シャンゲラヤ監督の『青い山』のように思える。

さて、『ピロスマニ』に戻ると、今回34年ぶりに見たら、かつてほどの感動はなかった。ほとんど忘れていて、唯一覚えていたのは、ピロスマニが始めた食料品店が、野原の真ん中に建てられた左右対称の建物で、入口に両側に黒と白の牛の彼の絵が飾られていたこと。

今回見直してわかったのは、映画の画面構成がピロスマニの絵のようだということだ。つまり、登場人物が正面を見ていて、左右対象。象徴的な場面がぱらぱらと紙芝居のように見せられるだけで、物語の展開はわかりにくい。一番近いのは、セルゲイ・パラジャーノフの映画か。

例えば、冒頭でなぜ彼が家を出てゆくことになったかも、その後どうして結婚式の途中でいなくなってしまうのかも、プレス資料を読まないと、ピンとは来ない。それでも見ていてわかるのは、彼が絵を描きながら放浪を続けること、だんだん老いてゆくこと、いつも酒を飲むことだろう。

復活祭の日までに絵を描くようにと部屋に閉じ込められて、みんなが外で大騒ぎした後にその部屋を開けると、大作を仕上げたピロスマニがふらふらに立っているシーンがある。そうして階段の下のひどく狭い家に帰ってゆく。そこで動けなくなったピロスマニを誰かが馬車に乗せて連れてゆくラストも、今朝になって記憶のどこかにあった気がしてきた。

たぶん孤独な芸術家の生き方が、34年前の私をとらえたのだろう。今見ると、メリエスやパラジャーノフ、あるいはオリヴェイラや小津とも通じるような画面の正面性、平面性、演劇性といった美学が際立って見えた。

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