« 日本映画の出ないベネチア:その(2) | トップページ | 映画以外のベネチアの話:その(1) »

2015年9月 6日 (日)

日本映画の出ないベネチア:その(3)

そこそこのコンペ作品を2本見たが、その合間に見たコンペ外招待のフレデレック・ワイズマンの3時間10分のドキュメンタリー「ジャクソン・ハイツで」In Jackson Heightに圧倒された。ジャクソン・ハイツとは、ニューヨークの最も移民の多い地区らしい。

そこにはヒスパニックを始めとして、アジア系、中東系、アフリカ系などあらゆる国の人々が合法、非合法で流れ込み、160以上の言葉が話されているという。そればかりでなくLGBTの人々も多く、おそらく世界で最も多様性に満ちた社会のようだ。

カメラは、そのコミュニティのさまざまな細部に入り込み、自由にそして他人に優しく生きる人々を映し出す。移民からの電話相談を受ける人々、アラブ系の美容室、子供向けのアラビア語の教室、無料の英語教室、路上の巨大画面でサッカーを見る人々、ボランティアのゴミ集めの人々、インド人の客しかいないインド料理店、イスラム教のハラル処理をする肉屋さん、トランスジェンダーの集まり、LGBTのパレード、野外のコンサートやマーケット、ユダヤの教会にイスラム教の教会などなど。

それらが数分から10分程度で写り、説明もなく次の場面に移動する。いつも聞こえるのは、上を走る電車の音。あるいは人々が集まるとどこからともやってきて、不審そうに見る警察たち。そしてこの地区にも開発の波が訪れて、個人商店は追い出されつつある。

不満を持ちながらもみんなが助け合って生きている姿に、都市における「コミュニティ」という存在の大きさを改めて感じさせる。最近のワイズマンはクレージー・ホースとかパリ・オペラ座とかナショナル・ギャラリーとか特殊な世界を描いてきたけれど、こちらの方が本領を発揮しているように見える。

その圧倒的な強度に比べると、フランスのグザヴィエ・ジャノリ監督の「マルグリット」Marguritteやアメリカのドレイク・ドレマス監督の「イコールズ」は影が薄い。「マルグリット」は1920年代のパリの社交界を賑わした音楽好きの男爵夫人マルグリットを描く。

実は彼女は驚異的な音痴だが、ときおり豪勢な自宅で開くリサイタルには夫も含めて誰も批判ができない。それどころかおだてられて、とうとうホールを借りてコンサートをやることに。そのために猛特訓をして本番を迎える。マルグリットを怪演するカトリーヌ・フロが映画を支えている。全編コミカルなタッチは軽快だし、やがて哀しきという展開も実に巧みなのだが。

「イコールズ」は感情を失った未来社会で、愛に目覚める2人を描く。それを演じるのはクリステン・スチュワートとニコラス・ホルトで、真っ白な制服を着て透明で無機質な建物で働き暮らしながら、秘かに愛を育む。何か見たことがある風景や建物だと思ったら、日本でオールロケしたらしい。

外国人が描く日本のクールなイメージを具現化したような映画だが、私にはその純愛がピンと来なかった。プレスの反応は良さそうだったが。私がその直前に、ニューヨークの何でもありの雑多なコミュにティを描く映画を見たばかりだったからかもしれない。

|

« 日本映画の出ないベネチア:その(2) | トップページ | 映画以外のベネチアの話:その(1) »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/62221983

この記事へのトラックバック一覧です: 日本映画の出ないベネチア:その(3):

« 日本映画の出ないベネチア:その(2) | トップページ | 映画以外のベネチアの話:その(1) »