パリのパサージュを歩く
自称インテリ会社員だった昔、「パサージュ」という言葉に妙に反応していた。もちろんヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』が念頭にあったから。鹿島茂氏の『パリのパッサージュ』という写真本も持っていた。いつかパリのパサージュめぐりをしてみたいと思っていたが、今回、ふとパりで半日ほど時間があいたので、行ってみた。
実はベネチアからパリに行く飛行機の中で読んだ「ルモンド」紙に、「パサージュ・デ・パノラマ」が1ページで紹介されていた。お菓子の名店から餃子バーまであると。そこで急に行きたくなった。
パサージュとは、19世紀のパリにできた鉄骨のガラス屋根付き通りのこと。日本風に言えばアーケード商店街。その多くは取り壊されたが、今でも10ほど残っていて、私がパリにいた1980年代は本当に古臭い感じだったが、今ではかなりレトロモダンな感じで流行っているらしい。
まずは新聞にもあった「パサージュ・デ・パノラマ」へ。オペラ座から出るグラン・ブルヴァール(大通り)の近くのボン・ヌーヴェル通りにある。ヴァリエテ劇場に隣接していて、お菓子屋さん、古切手の店、名刺の店などのなかに、餃子バーもあった。ここは1800年にできた古いパッサージュ。
次にボン・ヌーヴェル通りに戻って、向かい側の「パサージュ・ジョフロア」。ここは蝋人形館で知られるグレヴァン博物館に隣接している。市松模様の床が美しい。お菓子屋やステッキ、傘屋などもあるが、単なるパリみやげ店も。ここには映画の古本屋があったはずだが、閉まっていた。ホテルも2つ。その奥に「パサージュ・ヴェルドー」。どんどん庶民的になってゆくが、古本屋や画廊もある。
それから少し歩いて、「ギャルリー・ヴィヴィエンヌ」へ。「ギャルリー」という名前だが、実際はパサージュでタイル張りの床や壁の彫刻が美しい。ブティックも多く一番優雅な感じがする。ここで疲れてきたので、奥のビストロ・ヴィヴィエンヌで軽く食事。旅行中なのにタルタル・ステーキを食べたが、抜群だった。
それからパレ・ロワイヤルの方に歩いて、「ギャルリー・ヴェロ=ドダ」へ。ここは時間が止まったように静かだが、市松模様の床が映える。奥に靴のクリスチャン・ルブタンの店があったので、入ってみた。イボイボのついた真っ白や真っ黒のスニーカーはとても買えなかったが、青い財布を買ってしまった。これもイボイボ付きで、いったいどこに持ってゆくのだろう。
東京に戻って自宅の本棚で『パサージュ論』全三巻や鹿島さんの本を探したが、見当たらない。ようやく『ベンヤミン・コレクション』という文庫を見つけた。
「パサージュは高級品販売の中心である。パサージュの装飾に関しては、芸術が商人に奉仕することになる。この時代の人々はパサージュを賛美してやまない。その後も長らく、パサージュは旅行者を惹きつける場所であり続ける」
1935年頃に書かれた「パリ 19世紀の首都」という文章の一説。ドイツ人のベンヤミンはパリにやってきて、100年近く前にできたパサージュを論じ、それをさらに100年近くたって今の我々が読む。そのパサージュの実物が、今もほぼそのままの形で使われているのがすばらしい。東京に、江戸時代の商業施設が建物ごと残っているようなものだから。
別件だが、今朝の読売にベネチアの報告記事を書いたので、ご一読を。同じく今朝の日経の「文化往来」にもコラムを書いたが、こちらは無署名。
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