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2015年9月10日 (木)

日本映画の出ないベネチア:その(6)

タイトルに「日本映画の出ないベネチア」と書いているが、厳密に言うと正確ではない。賞を与えるコンペにもオリンゾンティ部門にもないし、批評家週間にも監督週間(ベニス・デイズ)にもない。あるのは、古典部門に2本とビエンナーレ・カレッジ部門に1本。

古典部門には、スティーヴン・オカザキ監督の「ミフネ ザ・ラスト・サムライ」Mifune: The Last Samurai が出ている。古典部門は過去の名作の復元版を中心としたものだが、同時に監督や俳優をめぐるドキュメンタリーも上映している。

「ミフネ」は三船敏郎をめぐるドキュメンタリーで、監督は日系アメリカ人だが、セディック・インターナショナルの企画でMXテレビや電通が出資する純然たる日本映画。これが実によくできていた。

最初にチャンバラ映画の歴史や第二次世界大戦などを説明しながら、中国の大連で生まれて、徴兵で1940年に初めて日本に来た三船の若い頃が語られる。長男の三船史郎や黒澤作品のスクリプトを務めた野上照代の話が挿入される。

東宝の「ニュー・フェイス」として入社し、黒沢と出会う。それからはふたりが18年間で撮った16本の映画の名場面を見せながら、現存の俳優たちがコメントをする。司葉子、香川京子、八千草薫、二木てるみなどがみな今も美しいことに驚く。加藤武や中島春雄、土屋義男、宇仁貫三らの男優の話もおもしろい。

最後に黒澤が三船の死に際して寄せた手紙を香川京子が読む。「僕たちは共に日本映画の黄金時代を作ってきました。どれも三船君がいなかったら、できなかった。本当によくやってくれた」。香川京子はその前に、「長生きしてふたりで年をとった夫婦の役をしたかった」と言った。

古典映画部門のもう1本は、『赤ひげ』のデジタル復元版の上映。海外での復元版は松竹は熱心だが、東宝は初めてという。ちょうど50年前にこのベネチアで、この映画に出た三船敏郎は主演男優賞をもらったこともあって、ドキュメンタリーとあわせてタイムリーだった。三船敏郎の孫の三船力也氏(27歳)は「ミフネ」のプロデューサーのひとりで、ベネチアに来ていた。9歳の時に三船が亡くなるまで、毎晩食事を共にしたという。

ビエンナーレ・カレッジには長谷井宏紀監督の「ブランカ」Blankaが出ていたが、これについては後日書く。

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