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2015年9月29日 (火)

『さようなら』のリアリティ

11月21日公開の深田晃司監督『さようなら』を見た。今年の東京国際映画祭のコンペが決まっているし、それ以上に賛否両論という噂を聞いて、見たくなった。結果から言うと、私はかなり好きな映画だった。

日常の描写を淡々と描く『ほとりの朔子』とはうってかわって、極めて抽象的な作品だ。112分の作品なのに、その多くは外国人女性ターニャ(ブライアリー・ロング)とアンドロイドのレオナの会話である。舞台は大原発事故から5か月たって、すべての日本人が海外へ避難すべく準備している時。

ターニャとレオナはススキに囲まれた荒野の一軒家に住み、窓の外の風景を見たり、外を散歩したりしながら話す。ターニャの日本語がときおり英語になっても、アンドロイドは問題ない。ふたりは詩を好み、谷川俊太郎、ランボー、若山牧水、カール・ブッセなどを暗唱するが、ランボーはフランス語、ブッセはドイツ語の原語まで聞かせてくれる。

ターニャを訪ねてくるのは、女友達の佐野と恋人の敏志。海外に避難するには、自分の避難番号が政府から発表されるのを待つしかないが、過去に問題がある人物は優先順位が低いようだ。佐野が別れた夫と息子は避難が決まる。敏志は家族と移住を決める。

こんな絵空事のような物語なのに、なぜかリアリティがある。それはターニャやレオナの見る世界の終りの風景が、周囲の森や街の風景、そして人々の表情など、どれも丁寧に描かれているからだ。見ていると、南アフリカ出身で複雑な過去を抱えたターニャの気持ちに同化してゆくし、感情がないはずのアンドロイドにまで感情移入してしまう。

世界の終わりをこれほど詩的に描いた日本映画がこれまでにあっただろうか。タルコフスキーやアンゲロプロスなどのヨーロッパの巨匠たちを思わせるような世界観で、原発事故後の日本を基礎において、その未来をじっくりと描いた初めての映画ではないだろうか。

ターニャと佐野が出会う若いカップルにしても、ターニャがレオナに見せる幼い頃の8ミリビデオ(イレーヌ・ジャコブが出ている!)にしても、映画の終末観を支えている。そして後半に見せるターニャの痩せた裸身が圧倒的な力を持つ。

私はこうしたヨーロッパ風の文学的な映画を好むところがあるが、果たしてこれは一般にはどうなのか、あるいは海外ではどうなのか、わからない。好きな人がいることは間違いないけれど。

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コメント

上映が、カップル集めのクリスマスロードショー作品『きみといた2日間』に邪魔されて22日に終わってしまうので、本日監督トークショー付きの回を鑑賞しました。鳥肌が立つほど素晴らしい、スクリーンに終始釘付けになってしまうような温度差のある映像美に加え、生々しいほどの死生観を近未来の世界を舞台に文学的かつ絵画的に描いた傑作でした。衝撃の塊のラスト。あの、1カットで溶けてゆく仕掛けについても監督ご本人が打ち明けてくれました。とても貴重な映画体験でした。

投稿: さかた | 2015年12月20日 (日) 23時46分

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