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2015年9月12日 (土)

日本映画の出ないベネチア:その(8)

昔からベネチアの特徴は、芸術性の高い映画が揃うことだと言われてきた。今回だとソクーロフもベロッキオもそうだったが、彼らに比べても映像より思想や哲学が際立つような映画がコンペで3本あった。ローリー・アンダーソン、アモス・ギタイ、スコリモフスキー。

ローリー・アンダーソンの「犬の心」Heart of a Dogは、ミュージシャンで現代美術家の彼女の個人的な映像エッセー。最初から最後まで彼女自身のナレーションが流れ、自分のこと、可愛がっていた犬のこと、両親のことなどが語られる。

日記のような映像やそれにCG処理をしたものがえんえんと流れるが、ジョナス・メカスのような映像の官能性はそこにはない。美術館で見る現代美術の映像作品に近いが、それにしては75分でも長い。

アモス・ギタイの「ラビン 最期の日」Rabin the Last Dayは、1995年11月4日に暗殺されたイスラエルのラビン首相の死について迫る映画。当時のニュース映像に加えて、当時を再現する映像を見せる。犯人やその背景の反ラビン派、首相の側近や運転手などへの調査の再現映像が流れる。

見ているとアラブ諸国との和平交渉をしたラビン首相には反対派が多かったことがよくわかるけれど、ニュース映像と再現フィルムがうまく構成されているので、プロパガンダ映像を見ているような気分になった。もともとアモス・ギタイという監督は、すべての映画でイスラエルやユダヤ人のことしか語らないのだけれど。

イエジー・スコリモフスキーの「11分」11 minutesは、それらに比べたらずっと映画らしい。ポルノ映画に出ようとする女と映画プロデューサー、その女を必死で探す夫、ドラッグの配達人、ホットドッグを売る男、その息子、救急車でかけつける人々、ポルノビデオを見る恋人たち、川のそばで絵を書く男などなど、ワルシャワのちょっと変わった十数人が、目まぐるしくスケッチのように描かれる。

かれらが少しずつ係って、ラストの大惨劇に向かってゆくという映画だが、あまりに人工的な作りにちょっと興ざめした。もともとこの監督は知的な遊戯のような構成を得意とするが、この映画はいささか図式的に見えた。

それでもこうした一般の映画館にかかりにくい映画を国際映画祭のコンペでやることには、大きな意義があると思う。今年のベネチアは、映画の可能性を広げるために、あえて違うタイプの映画を混ぜている感じがする。

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