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2015年9月11日 (金)

日本映画の出ないベネチア:その(7)

国際映画祭には必ず「辺境」の映画がある。先進国では起こりえない事件や風俗を描いた、「エキゾチック」な味わいを楽しむ作品だ。今回のコンペでは、アルゼンチンの「一族」El Clanやトルコの「狂乱」Abluka (Frenzy)、南アフリカの「終わらない川」The Endless Riverがそれに当たる。

「一族」のパブロ・トラペロ監督は、日本ではオムニバス『セブン・デイズ・イン・ハバナ』くらいしか公開されていないが、国際映画祭の常連。今回の「一族」は、7年間の軍事独裁政権が終わった1982年からの数年のある家族を描く。

「一族」の中心となる父親は、軍政時に対立した相手を誘拐し、身代金を要求したり、暗殺したり。次第に兄弟や子供にもその仕事を荷わせ、彼の一族だけが豊かになってゆく。父親の冷酷な狂気ぶりは見ていて寒気がする。後半はいつ捕まるかに関心が移ってゆく。最後のクレジットで実話だったことがわかり、この「一族」のその後が語られる。

「狂乱」は長編が2本目のエミン・アルパーの監督作品。テロが多発するイスタンブールを舞台に、絶望的な暮らしを送る兄弟を描く。兄は刑務所を出る条件として、ゴミの分別の仕事をしながら、テロに結びつく爆弾の手掛かりを探す任務を引き受ける。

偶然に再会した弟は、役所の依頼で野良犬を殺す仕事をしていた。彼は妻子に逃げられ、絶望的な生活を送っていた。映画はこの兄弟のつらい毎日を、それぞれの幻想と共に描く。わかりにくい映画だが、とんでもない現実は十分に伝わってくる。

「終わらない川」はオリヴァー・ハーマナス監督の3本目の長編。南アの小さな町で、刑務所から夫が出てきたばかりのタイニィは、ウエイトレスをしながら暮らしを立てていた。そこでフランス人に出会うが、数日後に彼の家族が殺されて、その犯罪に夫が関わっていたことがわかる。

絶望の淵にある男女が寄り添う物語だが、演出や語り口は大時代がかっていて悪趣味で、とても現代の映画とは思えない。私にとってコンペで最低の映画だった。

「辺境」の映画と言えば、オリゾンティ部門のイスラエルのハダー・モラグ監督の第一回長編「神はなぜ私を許し給う」Lama Azavtani もそうだろう。イスラエルの貧民街で、パン屋や鉄工所の手伝いをしながら生きる青年の孤独な日々を描く。とにかく見ていてつらかった。

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