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2015年10月 5日 (月)

新書の『ロラン・バルト』を読む

ロラン・バルトと言えば、私が大学生だった1980年代の神様のひとりだった。『零度のエクリチュール』など、彼の本は何冊も持っていたが、理解した記憶はない。最近ふと本屋で、石川美子著の中公新書『ロラン・バルト』を手に取った。今年は生誕百年らしい。

バルトそのものはとにかく難解だった記憶があるが、この本は実に読みやすい。バルトの思想さえわかった気にさせてくれた。

バルトは1980年に亡くなっている。たぶん日本ではその追悼特集などが雑誌で組まれたのかもしれない。ちょうどその頃、学生の間で『現代思想』を読むのが流行り出した頃で、浅田彰氏が25歳くらいで連載を始めていたと思う。フランス現代思想の祖として、ミシェル・フーコーとかクロード・レヴィ=ストロースとかと並んで、ロラン・バルトの名は燦然と輝いていた。

ところがこの本を読むと、『零度のエクリチュール』が出版されたのは1953年。それを30年後に私は「現代思想」と思っていたとは。印象では、せめて1960年代後半だったのに。

バルトは1915年にシェルブールに生まれ、すぐに父を亡くして、母と共にスペイン国境のバイヨンヌで暮らす。彼は一生母を大事にし、彼女が亡くなった時は、ショックで著作に大きな影響を及ぼしたほどだった。

バルトの20代は、肺病との闘いだった。あちこちのサナトリウムで孤独な日々を過ごす。文壇デビュー後も、博士論文を書いていないこともあって生活に苦労する。祖母の遺産を手にして、1955年に40歳で初めてアパルトマンを買う。それまではフランス国内やルーマニアやエジプトを彷徨っていた。

それから「記号学の冒険」が始まる。この伝記を読んでいると、バルト自身は何も構えずに思いついたままに書いているようにしか見えないが、『神話作用』『モードの体系』『ラシーヌ論』などを続々と出版する。

そして68年秋に「作者の死」という小文を書く。「結局、「作家の死」とは、構造主義以降の「主体の死」を高らかに宣言しているように見えながらも、じつは書くように読んでゆくという読書の楽しみを語っているのである。そしてバルトが批評活動から読書の快楽へいこうしてゆきつつあることをひそかに打ち明けてもいたのだった」

それから日本を含む海外への旅が始まる。日本には何度も来て『記号の国』を書くことになるが、今日はここまで。もう一度今、バルトを読んだら少しは理解できる気がした。

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