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2015年10月13日 (火)

山形は大丈夫か:その(3)

コンペでは、ペドロ・コスタの『ホース・マネー』が圧倒的だった。見る前からわかりきっていたことではあるが。これまでのコスタの映画に出てきた移民のヴェントゥーラを主人公にした作品で、病院に住む老いたヴェントゥーラは、自らを19歳と言う。

そこに重なるのは、ヴィラリーナとジョアキンの夫婦の物語。ヴィラリーナはリスボンに住む夫が死んだと聞いて、北アフリカのカーポベルデからやってくる。ヴェントゥーラは死んでいないと言うが。

『骨』(97)や『ヴァンダの部屋』(00)、そして『コロッサル・ユース』(07)に続くヴェントゥーラものだが、これまでのスラム街ではなく、病院や工場が主な舞台ということもあり、少しはわかりやすい。後半は『コロッサル・ユース』と同じく革命軍兵士とのエレベーターの中での長い会話だが、今回はヴェントゥーラが74年のカーネーション革命でかえって苦しんだ40年を送ったことが明白なので、大筋も見えてくる。

さて問題はこれが「ドキュメンタリー」かということだ。彼の映画は過去にも出ていて受賞もしているが、今回はとりわけフィクション性が増しているし。特別招待ならともかく、コンペに入れるべきかどうか。

ほかのコンペ作品にも触れておきたい。『わたしはここにいる』は、ペルーのハビエル・コルクエラ監督の作品で、リマに住んで音楽を職業とする無名の人々の話からなる。とりわけバイオリンを弾く初老の男が忘れがたい。音楽だけでは食えずにさまざまな職業を続けたながら音楽を続けた彼らの人生が、限りなく魅力的に見えてくる。

『ドリームキャッチャー』は、山形でもこれまで上映された女性監督キム・ロンジノット監督の作品。シカゴで性暴力に悩んだり、街頭に立ったりしている若い娘たちを救うためにボランティアを続ける女性ブレンダを描く。そのタッチは確かで、見ていてどんどん感情移入できるように作られているが、その手際よさに少し引いてしまった。

そのほか、アルゼンチンの『ラスト・タンゴ』もチリの『真珠のボタン』も配給が決まっているし、『ホース・マネー』だってそうだ。日本の『戦場ぬ止み』に至っては、日本での公開さえ済んでいる。

コンペをすべて見たわけではないが、ドキュメンタリーとは言い難い『ホース・マネー』を除くと、比較的わかりやすい作品ばかりが揃っている。以前の山形はもっと尖がった作品が多かったのは間違いない。コンペのセレクションは昔から合議制だったようだが、かつては東京事務所が大きく引っ張っていた気がする。それが今は観客を考えてのある種の保守性が支配しているようだ。

ほかのセクションは相変わらず過激なだけに、根幹となるコンペの凡庸さや保守性、目新しさのなさは、かつて評判の良かった山形の凋落を物語っている。

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