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2015年10月31日 (土)

30年目の東京国際映画祭:その(7)

映画祭も今日の授賞式でおしまい。コンペ16作品のうち、事前に見ていた3本を加えると13本を見た。見ていないのは、フランス、イタリア、トルコ=ハンガリーの3本だが、イタリアやフランスの作品の選択には毎年疑問があるので、ほかの映画を見た。

まだ触れていないなかでかなりおもしろかったのが、イランのシャーラム・シャーホセイニ監督『ガールズ・ハウス』。『別離』などで知られるアスガー・ファルハディを思わせるミステリー・タッチの映画で、結婚式の前日に突然亡くなったサミラをめぐって、大学の女友達や婚約者、サミラの両親などの疑惑と本音が渦巻きながら、真実へ迫ってゆく。

車やバスや列車や店の窓に写る風景をうまく取り込んだショットもファルハディに似ている。最初は実はサミラは死んでないのではないか、とんでもない真実があるのではないかと期待させるが、終盤に再現フィルムのように事実が明かされて、ちょっとがっかりした。

さすがに、ファルハディのように人間の心の闇には届かずに、保守的な社会批判で簡単な決着をつけてしまった感じか。去年の映画祭の『メルボルン』も似ていたらしいが、最近のイラン映画は、現代的なテヘランを描きながらそこに潜む旧態依然とした習慣を見せるのが、主流なのだろうか。

サミラ役のラーナ・アザディワルはファルハディの『彼女が消えた浜辺』に出演していたらしいが、とにかく出てくる若い女性が美人揃いなのにも驚いた。この映画はインターナショナル・プレミア。

ある新聞記者がホメていたので期待してがっかりしたのが、中国のハオ・ジエ監督『ぼくの桃色の夢』。1995年に中学の寄宿舎に入ってから、ひとりの女の子を好きになり、高校、大学へ進んで映画監督になって彼女と再会するまでを描く。

コメディとノスタルジーいっぱいに青春物語が繰り広げられるが、私にはわざとらしくてピンと来なかった。肝心の北京電影学院に入る経緯やそもそも映画監督になろうとする動機などが曖昧だし、父の死の意味もわかりにくい。ラストも締まりがなかった。これはワールド・プレミア。

同じようなノスタルジックな映画なら、フィリピン映画特集のポール・サンタ・アナ監督『バロットの大地』の方が好感が持てた。マニラに住むミュージシャンのジュンが、結婚を前に田舎の父のアヒル農場を売ろうとする。契約のために戻って小作人やその子供たちと接するうちに、ジュンは田舎に惹かれてゆく、というもの。田舎の風景や音が繊細に捉えられていて、見ていて気持ちが良かった。

その後に「ワールド・フォーカス」でアンジェイ・ズラフスキ監督『コスモス』を見たが、久しぶりに頭でっかちでセリフばかりのフランス映画を見て気分が悪くなり、途中で退出。ゴンブロヴィッチの原作というが、これは小説の方を読んでみたい。

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