山形は大丈夫か:その(1)
2日目は4本のコンペ作品を見た。どれもあるレベル以上だが、突き抜けたものはなかった。よく見ると、3本にフランス資本が入っていたので、その3本から。
まず『青年★趙』は社海濱監督で、愛国者の趙青年を描く。映画は、2010年、山西省の田舎で彼が尖閣諸島問題で街頭で日本に対する反対行動を1人でしているシーンに始まる。大学受験に失敗するが、翌年、四川省の成都の西南民族大学に進む。
寮では壁に毛沢東と周恩来の写真を張るほどの愛国者だが、彼女もできて次第に学生生活を楽しみ始める。転機の1つは四川省の自治区の山村に、子供たちの教育ボランティアに行った時。もう1つは、実家の近くに住む祖父の家が政府の都合で取り壊される時。愛国者だった青年が、少しずつ政府に疑問を持つさまが丹念に描かれている。
『いつもそこにあるもの』はフランス人のクロエ・アンゲノーとチリ出身でパリで活躍するガスパル・スリタの共同監督。ナポリの貧しい地区の家に住む4世代の女たちを描く。描かれるのは部屋の中と家の前の道だけ。固定カメラには、常に話す数名の女が写る。テレビ、宗教画、テレビゲームが並ぶ部屋の奥にはベッドがあって、寝たきりの中年男がいる。
彼らの会話から、息子は刑務所にいること、父は最期が近いこと、娘の1人はもうすぐ結婚することなどがわかる。外のバイクや車の音、テレビ、ゲーム、掃除機などの音がいつも耳にうるさい。最小限の要素から、人生のすべてを映し出すような力を持った映画で、この日の4本では一番強い。
『銀の水―シリア・セルフポートレート』は、シリアのオサーマ・モハンメドとウィアーム・シマヴ・ベデルカーンの共同監督。2011年にカンヌ映画祭に出品するためにシリアを去った男とシリアに住む女との対話という形で映画は進む。そこで写されるのは、ユーチューブに上がったシリアの悲惨な映像。
夥しい死者たち。子供も、猫や犬も。破壊される建物。時おり、パリの映像が挟まれる。2人の会話の中で『二十四時間の情事』が触れられるが、この男女の会話自体がまさにアラン・レネの映画のように聞こえる。もちろん痛切な状況はわかるけれど、果たしてこの知的な映像の操作がそれに見合っているのかどうかは疑問に思えた。
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